対話文読解に見る言語の裏切り

フランス語検定や共通テストでは、二人の会話を題材とした選択問題が出題される。Aが何かを言い、Bの答えを空白にし、Aの次のセリフが来る。解答者はBの答えを選択肢の中から選ぶ。

この手の問題は専門家が複数人で作成するため、答えは非常に明快だ。だが決して出題批判ではなく、言語の解釈は多重的だ。僕らがチョイスするのは、あくまで出題者の思考世界における選択であり、言語を読む人間の解釈に委ねると、解答の新たな可能性が生じる。

たとえば以下のような問題がある(日本語で書いてみる)。

A. 彼女と喧嘩をしてしまった。どうしよう。
B. 【         】
A. 無理だ。彼女は僕と話そうともしない。

解答の選択肢としてもっとも適切なものは、「思うんだが、すぐに電話すべきじゃないの?」である。これはまったく矛盾しない。

さて、除外された解答を見てみる。「そりゃそうだろう。君らはタイプが違いすぎる」。これは確かに適切ではない。だが、もしここでAがBの言葉を聞いていなかったとしたらどうなるだろう。つまりAはあくまでもモノローグに浸っており、相談を聞いても耳に入ってこないような状況だ。その場合、Bの言葉を流して聞いてしまい、「無理だ。彼女は僕と話そうともしない」と続けることも可能だ。ここでの「無理だ」は機能的には「電話をかけることが無理」と接続されるのだが、そのような書き手の期待を裏切り、解釈は無限に増殖する。

選択肢には「他の人を探せば?」「何があったか教えてくれよ」といった答えもある。これらは出題者の思考世界においては除外されるものだが、言語の解釈は多様だ。もちろん、リアルの現場においてはAがBの言葉を聞かなかった場合、Bに話を聞くようにと叱責を受ける。その意味において日常では思考世界の枠組みを共有しなければコミュニケーションは不可能だ。だがこのような設問を見てみても、本来的な言語の多義性が見出せる。目の前の言葉の背景を恣意的に読み、言外の意味を過剰に探ってしまう経験は誰しもが持ち合わせているだろう。

一つの言葉の解釈に躓くあいだに、社会言語は様々な使用経験を経て、瞬く間に変化する。言葉にしないと伝わらず、されど発した言葉は解釈に揺れる。人が人と分かり合うことの困難性は日常会話の中にすでに潜んでいる。

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