宿命づけられぬ土地の意味

とある本のコラムを依頼され、堀辰雄と鎌倉の関係について少しだけ文章を書いた。

堀辰雄といえば信濃のイメージが強く、実際に堀辰雄文学記念館は軽井沢にある。

2019年に堀辰雄文学記念館で講演しました。

また、僕の近年の論考は堀の奈良旅行を題材とするものだ。

その中にあって堀の鎌倉居住は昭和13〜15年の一時期だ。しかも滞在中に奈良旅行に出かけ、夏には長期で軽井沢の山荘で暮らす。書簡集を読んでも鎌倉についての記述は少なく、積極的な意味を持つトポスではないようだ。少なくとも信濃や大和といった宿命的な空間と比較すると、鎌倉はずいぶんとレベルが異なっている。

だが、僕は宿命から切り離された土地ゆえの意味を考えざるを得ない。

ここ最近、サードプレイスをめぐる考察を続けている。サードプレイスは自宅(ファースト)、職場(セカンド)とは異なる場所だ。このような空間が重要性を帯びる背景には、精神と結節させず、軽く触れることが意味を持つことが挙げられる。僕らは自宅でプライベートを晒し、職場ではパブリックを意識する。そういった重要性を持たぬ第三極が精神の安定に寄与し、時として思わぬ着想を与えてくれる。

むろん「町」はサードプレイスと異なる。サードプレイス論に堀の鎌倉を組み込もうと思っているわけではない。だがイメージは少しだけ連続している。それは宿命性がない土地での安らぎだ。慣れ親しんだ空間を離れ、新たな土地に身を置くことで払拭される何か——積極的理由を持たぬ空間であることが、次なる宿命へ向かうためのクッションとして機能する。事実堀の大和探究は鎌倉在住時に本格化するのだ。

東京、信濃、大和を往還する堀に、鎌倉を加えてみる。あるいは自宅と職場を往還する自分がどこか別の空間に身を置いてみるように。自己探究の手を止め、新たな土地と気安げに接触することが、探究を次のステップへと移行させてくれるのではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?