【凡人が自伝を書いたら 61.焼け野原の復興(中)】
大人しい。
ひじょーに、大人しい。
もう少し、しゃべってもいいんじゃないですか?
僕は正社員だから、基本的に「喋りまくって仕事にならない」的なのは奨励できないけれども、流石にもうちょっとしゃべってもいいんじゃないの?
そんなことを思うくらいに、スタッフたち、特に学生たちが静かだった。
僕には、分かった。
それは何も、彼、彼女らが「真面目」だったからではない。もちろん、それなりには真面目なんだろうが、それだけじゃない。
「心を閉じている」
僕は別に心理学者でも、カウンセラーでもなかったが、それくらいのことは分かった。
「諦めと無関心」
僕はこれまで、さまざまな年代・境遇・価値観の人間たちと働いてきた。中には他の人が諦めるような、「クセ者」もいた。そんな人間たちとも、協力関係を築いてきたので、「コミュニケーション」みたいなものには、なんとなくの自信はあった。
ただ、この店のスタッフは難しかった。
別に「性根が曲がった人間」なんてものは1人もいなかった。
「今まで一体、何があったのだろう。」
そう思わずにはいられない。
「コミュニケーションを諦めている」ようなスタッフ。
「仕事だからと割り切って、イヤイヤやっている」ようなスタッフ。
「社員なんて当てにならない。誰でも一緒。私たちはただ、はいはい言ってやるだけ。」そんなことを冷たく言い放つスタッフ。
特に最後の言葉は、僕の心にじんわりと響いた。
それは、「辛すぎる」だろう。もちろん、問題がない店なんて無いけども、それは流石に「寂しすぎる」だろう。
「そうですか。そうかもなぁ。」
なんて言って、耳を傾けながらも僕は思っていた。
「絶対それ、変えてやる。」
心の扉を開く。壁を壊す。
これが僕がこの店にしてやれることだ。
「教育」はそれからだ。
「精神論」ではなく、ちゃんとした「根拠」もあった。
スタッフが心を開き、信頼していなければ、教育もクソもない。もちろん、姿勢を見せると言う意味で、初めから教育し続ける。
ただ、それが効果を発揮するのは、みんなが心を開いたあと。
そのことは僕の経験上、すでに承知の上だった。
「心の扉」
僕の経験上、「心の扉を開く」とか、「開いてあげる」みたいな表現はあまり正確では無かった。
「家」みたいなもんだ。
扉の鍵は、家の内側からしか開けられない。
無理矢理こじ開けようとしても、無駄である。土足で踏み入ろうなんてしようもんなら、よほど人柄がよく、口が達者でもない限り、嫌われる。
そりゃそうだ。自分の家に、いきなり赤の他人が侵入してこようとしていたら、「逃げる」か「反撃する」の2択だ。
僕が他人の心の扉を開けることはできない。
日本神話の「天岩戸隠れ(あまのいわとがくれ)」ではないが、家の外で楽しそうにわいわいやって、本人自ら、扉を開けてもらうしかないのだ。(たとえ!)
まず、相手のことについての「質問」や、「教育」で、とにかく話す回数を多く取る。もちろん、反応は薄い。(つらい)
次は、笑顔にすることだ。いつも「笑わせる」ことが出来れば一番いいが、僕は芸人ではない。ただ、「笑わせる」ことはできなくても、「笑われる」のは結構簡単にできる。(もはや可哀想)
べつに「バナナの皮にスベって転ぶ」なんて、大それたことはしなくていい。というか、多分しない方がいい。(色々リスクが多い)
くすりと笑われればいい。ちょっとした失敗をしたときに、そのことを話したり、なんなら、失敗した時は、無言で少し変な顔をしながら、その人を見つめるだけでもいい。意外にこれが効く。特に話すのが苦手な、超おとなしめのスタッフはこれが効果絶大だ。
「親近感」もあり、「尊敬」や「信頼」もある。
いわゆる「コーチ」のような立ち位置。
これが当時の僕の中では、「正解」だった。(たぶん)
「殻を破った小鳥たち」
少しづつ、スタッフたちの心の扉が開いてくる。
もちろん実際にそれを見ることはできないけれども、スタッフの間に笑顔が増える。ほとんど話すことがなかったスタッフが、スタッフたち同士で、話している。
スタッフ同士で話すなんて、普通のことだと思われるだろうが、そんな「普通」がこの店には無かった。
冷め切っていたお店の雰囲気が、少しづつ暖かくなっていく。
「お店の雰囲気が変わった」
それは僕だけでなく、お店で働くスタッフたちも感じていた。
一気にお店が「覚醒」していく。
僕や店長の教育も進み、スタッフたちはどんどんと力をつけていく。最初は、店長や僕の指示だけで仕事をしていたようなスタッフも、自分たちで考えて仕事をする。笑いも起きるようになった。
うんうん。いい雰囲気だ。
とわいえ、まだまだ能力は高くはない。
それでも、店が歩み始めた。進むことを諦めた人間たちが、歩き出した。
原因は、僕ら「社員側」にあった。
何もスタッフたちは、初めから「心を閉じていた」わけでは無かった。悪い雰囲気が続き、人が離れていくのを見て、次第にそうなっていったのだ。
僕も同じ社員として、そんな「申し訳なさ」みたいなものがあったからこそ、嬉しかった。
また新たに歩みを初めてくれたことが、もう一度、進み出してくれたことが、嬉しかった。
殻を破った小鳥たちが、空に羽ばたいていく。
そんな光景を見ているのが、たまらなく嬉しかったのだ。(万歳!!)
つづく
お金はエネルギーである。(うさんくさい)