子育てエッセイ : 僕は娘たちにNo.2になることを勧めた 仕事も恋愛もNo.1で居続けることは大変なこと

戦国時代、豊臣秀吉が天下統一出来たのは、戦国時代最強のNo.2と言われた軍師の黒田官兵衛がいたからだとも言われている。
余りの優秀さに秀吉自身が怖くなり、地方に今で云う左遷をさせてしまったくらいだ。
北条攻めで打つ手がなくなった秀吉は黒田官兵衛を呼び寄せ北条氏に小田原城を開城させている。

三国時代、劉備玄徳が関羽や張飛と共に、蜀の国を作り、魏呉蜀の三国の1つになれたのは天才軍師
諸葛亮孔明がいたからだ。
諸葛亮孔明が亡くなると、劉備玄徳の息子劉禅率いる蜀の国は魏に滅ぼされた。

真の実力者はNo.2と言われている。
企業も同じだ。名軍師のいない企業は衰退して行く
トップというのは人間的魅力が物を言う、豊臣秀吉がいい例だ。
だが、それだけでは企業も国も存続し続けることは出来ない。
日本には名軍師がいないというのが今の大問題の
1つだと思う。

No.1で居続けることは大変なことでもある。
学校で成績トップで居続けることはかなり大変だ。
ライバルは1人だけではない。トップの座を狙ってみんな必死に勉強している。どんな人がライバルとして浮上して来るかも分からないから、ありとあらゆる勉強を必死でしなくてはならない。
つまり、追われることは大変だということだ。
追う立場の方がずっと楽。
射程内のNo.2にいれば、具体的な目標が目の前に
居るから、対策や作戦も立てやすい。
しかも、No.1よりもずっと気が楽だ。
無理とNo.1にならず、常にNo.2でいることも、
僕は賢いやり方であると思う。

恋愛も同じだ。ゴールを結婚と考えるならば、最初から好きな人のNo.1である必要はない。ずっとNo.2で居て、最後にNo.1になって結婚すればいい。

しかも、No.1というのは有頂天になっていることが多いから、仕事も恋愛も思わぬミスをする。
豊臣秀吉も織田信長も何回も大きなミスをしているミスをしなかった戦国武将は上杉謙信くらいだ。

こういうやり方は卑怯だとか好きじゃない、と言う人もいる。
だが人生は長い。70年も80年も生きなくてはならない。ずっとNo.1で居たら身がもたない。途中で倒れてしまうこともある。
最終的に天下を取り、徳川400年の歴史の基を
築いた徳川家康はこんな言葉を残している。

人生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し
決して急ぐべからず
不自由も常と思えば不足なし
心に望み起こらば困窮したる時を思い出すべし
堪忍は無事長久の基
怒りは敵と思え
勝つことばかりを知り 負くることを知らざれば
害その身に至る
己を責めて人を責むるな
過ぎたるは及ばざるが如くなり

僕は娘たちにNo.2になることを勧めた。
どんな事も、どんな組織や団体に入っても、そこで
最強のNo.2になるように言った。

ローリング・ストーンズはデビューして60年経つが、今でもロック界の頂点に君臨し続けている。
コンサートでは常にボーカルのミック・ジャガーを頂点にして、他のメンバーは裏方に徹している。
ローリング・ストーンズの名曲の殆どを作曲した
ギターのキース・リチャーズも、コンサートでは
ミック・ジャガーのバンドマンの1人に徹している
そして史上最強のサイドギターと呼ばれている。
ミック・ジャガーと同じ天才キース・リチャーズがNo.2に徹しているから、ローリング・ストーンズは今もロック界の頂点に君臨し続けているのだと思う


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