gaya1991_

山原です。書くことが楽しい人です。

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「結婚して幸せになってね」

一つ、自分の家族の話をしたいと思います。 家族と言っても、その人は親や兄弟、祖父母ではありませんでした。 だけど生まれた時からずっと自分のそばにいて、親のような、祖父母のような、親友のような存在でした。 彼女は僕のやることを絶対に否定しませんでした。 むしろどんなことをしても僕のことを認めて褒めてくれましたし、 「あなたのことが一番大切だ」と、僕の人生で初めて言ってくれた人でした。 だから彼女の言葉だけはいつもすんなりと僕の心に入ってきたことを覚えています。 彼

    • 夏と彼女と熱いお茶

      暑い夏の日は、 淹れたての、ゆるやかに湯気の立つお茶の香りを思い出す。 「あなたはお茶が好きだから」と嬉しそうに湯を沸かす準備をするあなたとすごした夏。 扇風機がゆるゆると回る居間は、もう遠い過去になりつつある。 二度と戻らない夏があることは、無くなってからしか気付けない。 今となっては、 私は本当に淹れたての熱いお茶が好きだったのか、 「お茶が好き」と言うと嬉しそうに笑うあなたの喜ぶ顔が見たかっただけなのか、わからない。 いつかどこかで、誰かの思い出になるとき

      • あなたも私もマイノリティだ

        遠い国で起きた一つの噴火が、日本全土に影響を与えた夜でした。 今回の津波警報で私が思い出したのは、かつてチリ地震で地元が被災した話です。 もちろん、生まれる何十年も前の話なので私自身は知らない。 でも、体験した、という先生から直接話を聞いたことがある。 地球の反対側で起きたことでさえ、自然の驚異は私たちに無関係ではないのだと思い知りました。 トンガの現地の人々が、一人でも多く無事であることを祈って。 * かつて行きたかった海外は、今ではすっかり遠いものとなってしまい

        • 私には夢がある。そりゃもうたくさん。

          今日握力を図ったら「平均より高いね」と言われてちょっと喜んだのに、 ネットで調べてみると普通に平均値より低くてがっかりした山原です。 買ってもいない宝くじにハズレたような気分です。なんじゃこりゃ。 さて本日は、 「私には夢がある」 そう、あのキング牧師の有名な言葉……ではなくて、 私が長年考えている『夢』について書いておこうと思います。 みなさんは夢がありますか? こう聞くとそもそも『夢』って何?という定義が難しいかもしれませんが、 あまり深く考えないでください。

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        「結婚して幸せになってね」

          やりたいことがない?

          とある有名人?の方がおっしゃってたのですが、 「今の人たちは圧倒的に体験が足りない。 インターネットで見聞きしたことを すべて『体験した』と思い込んでいるから。 知っているのと体験は全然違う」 と言うようなお話をしているのを聞いてハッとした祝日です。 文字を読むのは大好きなので、 本や漫画でたくさんの出来事を読んだり聞いたりするのも確かに貴重な体験だとは思うのですが、 もう30年以上も生きているのに まだ体験した事のない事、実際に見たことのない物が多すぎる。 自分

          やりたいことがない?

          「好きなことして生きていく」は、私には無理

          昨年か一昨年くらいから、 「好きなことをして生きていく」 というような言葉を頻繁に目にするようになりました。 たぶん、某芸人Youtuberのチャンネルを見ていたからかもしれませんが その時自分も、 漠然と「好きなことだけやって生きていきたいな~」と思っていました。 好きなこと。 好きなことってなんだ? 実際、24時間365日好きなことだけして生きてる人なんていない。 だって人は 食べなきゃいけないし眠らないといけないし 外に出る時は日焼け止めを塗らないと

          「好きなことして生きていく」は、私には無理

          さぁ、子どもに返ろう

          賢い大人の『ふり』をする10年でした。 『普通を知らない』自分が、周りと波風立てずに過ごせる唯一の方法だと思っていたからです。 大人や年上の人、上司や親の望むような回答をすることが正しいのだと信じていました。 信じて10年やってきたのです。 2021年、ついに僕はその『ふり』をやめようと決めました。 「もうめんどくせェ~」と気づきました。 やりたくもないおべっかやお世辞を『言わされる』のももうダルダルだし、 やりたくもないつまらないことを毎日決まった時間『やらさ

          さぁ、子どもに返ろう

          不遜で傲慢な「悪の組織」

          就職活動について報告し合った友人から、 「言ってることがコロコロ変わるけど、結局何がしたいの」とあきれられた。 つい半年前まで、 「転職して県外に行こうかな」と言ったのは僕だ。 今は退職日だけが決まって、その先のことはまったくわからない。 「春までの短期間、住み込みのバイトをしようかな」 そう言ったのは2日前の僕だ。 友人はコロコロ変わる僕の意見を聞いて、とうとう大きな声を出した。 なにせ、県外に行きたいと言った僕と、 地元に帰る希望のあった友人、 「もし

          不遜で傲慢な「悪の組織」

          あなたの「失敗報告」に救われてます。

          仕事でちょっと大きなミスをしました。 発見が早かったから、同僚と一緒に修正依頼を出して、なんとか一日で対応が終わったけれど、 こういうミスは社会人になって何度もあります。 現職も含めて、歴代の同僚の皆様、上司の皆様、大変申し訳ございません。 ミスをしないように、しないようにと気を付けていても、 どうもミスって、「気を付ける」「確認する」だけじゃなくならないらしい。 これって自分だけですか? こんなにやらかしまくってる自分も、まだ新卒のころ、 「ミスをすれば死」

          あなたの「失敗報告」に救われてます。

          「つながり」が大事だと人は言う。

          人は一人では生きていけないというのは 誰もが知っていることだけれど、 それにしたって今、ニンゲンはつながりすぎじゃないだろうか。 隣の席の同僚がInstagramで数百人のフォロワーがいると笑顔で教えてくれた時、 僕は「フォロー」と「フォロワー」ってどっちがどっちの意味だったっけ?と すぐには理解できないくらいあほであった。 一昔前には、こんなにたくさんの人が見知らぬ他人とつながることは想像もできないことだったと思う。 それだけニンゲンにとって「孤独」とは耐え難

          「つながり」が大事だと人は言う。

          証明可能な「愛」と、証明不可能な「アイデンティティ」について

          日ごろから、 「恋愛できる人っていいな」と私が思う理由の一つに、 自分のジェンダーアイデンティティ(性自認)を 証明できることにあると思っています。 例えば私は、 自分の心に「性別はない」と考えています。 男でも女でもなく、ただの「ヒト」です。 そして、これまで「恋愛」をしたことがありません。 (私がよく、イチロー選手や石原さとみさんが好きだと言うと、「それは恋愛とは違う」と言われました。 私には何が違うのか全然わかりませんでしたが) だから今のところ、一

          証明可能な「愛」と、証明不可能な「アイデンティティ」について

          人から認められることって必要ですか?

          職場で、数字だけで評価されたことに違和感を覚えました。 今回、評価されたのはたまたま自分でしたが、 他にもいっぱい、会社のために頑張っている人はいるのに、 ただ数字だけで「努力している」と評価されることに全く意味を見出せませんでした。 それってどれだけ意味があるでしょうか? 少なくとも自分にはまったく意味を持ちませんでした。 はっきりと感じたのです。 自分は、誰かから評価されたくて仕事している訳じゃないということ。 それは、まったくモチベーションにつながらない

          人から認められることって必要ですか?

          何のために書くんだ。

          noteを書いてる方は聞かれたこともあるのではないでしょうか? 「何のために書くのか?」 よく聞くのは「仕事につなげるため」、いわゆる就活の一種であること。 あと「読んだ人が反応してくれるのがうれしい」 この二つは鉄板じゃないでしょうか。 たぶん、大体の人がこのように答えてくれるかと思います。 (他にもいろいろあったらごめんなさい。) 実はTwitterでもこうした内容のつぶやきをたまに目にするんですが、 そのたびに僕は思うんです。 みんなウソついているんじ

          何のために書くんだ。

          重ねた積み木を壊したくなる、子ども心を捨てられない

          2,3歳の従兄弟の子どもや、甥っ子と遊んでいたときのことである。 みんなで時間をかけて、慎重に積み重ねた積み木を、甥っ子が突然つついた。 僕らの目の前で音を立てて積み木が崩れる。 口を開いて驚く『真似』をする僕に、子どもたちがケタケタと大きな笑い声をあげて いたずらな、心底楽しそうな瞳を向けてくる。 今に始まったことじゃあない。 子どもたちは積み上げたものを壊すことをいとわない。 どれだけ高いところまで重ねられるだろうとワクワクしていた僕を置いて、 彼らは「重

          重ねた積み木を壊したくなる、子ども心を捨てられない

          無限大の「承認欲求」をどうしよう

          LINEのグループトークに近況報告のテキストを送った。 他のメンバーが返事をしなくても良いように自分一人で文章を完結させて、午後3時ごろに送信。 するとどうだろう。  そのあとずっと、誰かから返事が来るのを待っている自分がいる。 「みんな忙しいから返事は来ないだろうな」という思いと、 「誰かは必ず反応してくれるんじゃないか?」という思いが お腹の中心でせめぎ合ってグルグルと落ち着かない気持ちなる。 この「承認欲求」はもはや病気なんじゃないか、と怖くなるのは自分だ

          無限大の「承認欲求」をどうしよう

          ファンタジーには「母親」がいない

          マンガやアニメを見ると、「悪役令嬢」「転生モノ」が最近のトレンドのようです。 王道としては「すでに未来が分かる(物語の展開が分かる)主人公が、悲運や危機を回避しながら進んでいく」というものですが、意外とマンガによってバリエーションが豊かで面白い。 いくつかの作品を読んでふと気になったことがあります。 それは「ある存在の不在」について。 多くの「悪役令嬢」「転生モノ」系のファンタジーマンガに登場しないもの、それが「母親」です。 現在お気に入りで読んでいる作品が20本く

          ファンタジーには「母親」がいない