「結婚して幸せになってね」
一つ、自分の家族の話をしたいと思います。
家族と言っても、その人は親や兄弟、祖父母ではありませんでした。
だけど生まれた時からずっと自分のそばにいて、親のような、祖父母のような、親友のような存在でした。
彼女は僕のやることを絶対に否定しませんでした。
むしろどんなことをしても僕のことを認めて褒めてくれましたし、
「あなたのことが一番大切だ」と、僕の人生で初めて言ってくれた人でした。
だから彼女の言葉だけはいつもすんなりと僕の心に入ってきたことを覚えています。
彼女が教えてくれたこと、彼女の言葉はいつでも僕の勇気になりました。
そんな彼女はもうこの世にいませんが、最期に一つだけ、僕に言ったことがあります。
「結婚して幸せになってね」と。
でも僕は恋愛がわからない人間なので、彼女が生きている間にこの言葉を叶えることはありませんでした。
いつでも「今の自分」を認めてくれていた彼女が、どうしてこんな風に言うのか分かりませんでした。
結婚だけが幸せではないと思っていたけれど、戦争で夫を喪った彼女に、僕はとてもじゃないけどそんな風に伝えることができませんでした。
「結婚して幸せになってね」という言葉が、彼女がいなくなった後もずっと心残りになったのです。
どうして「結婚して幸せになってね」と言ったんだろう。
今のままでも十分幸せなのに。
僕にはその言葉が不思議でたまりませんでしたが、同時に
どうして自分は、普通に恋愛して普通に結婚した姿を彼女に見せてあげられなかったのだろうと後悔しました。
弟は早くに結婚して、彼女に自分の子どもを逢わせることができました。
彼女が甥っ子たちを眺める瞳はとてもやさしくて、
自分もずっとこんな風に見守られていたのかと
心がぎゅっとしたのを覚えています。
同時に、普通に恋をして、普通に結婚ができない自分が、すごく情けなく、悲しく思えたのです。
最近になって、カウンセリングの先生にふと彼女の話をしました。
どうして彼女は僕に「結婚して幸せになってね」と言ったんだろう?と。
すると先生は言いました。
「あなたのことを本当に尊重してくれている人だったのなら、本当に結婚してくれ、と思っていたわけではなく、
ただ、いつもと同じようにあなたに幸せでいてほしい、そう言いたかっただけなんじゃないかな」
本当のことはわかりません。もう彼女自身と話すことはできないので。
でも、先生が言っていたように、
「幸せでいてほしい」という言葉が、きっと彼女の言いたかった全てなのだと思います。
「結婚して幸せになってね」も、
「あなたのことを愛しているよ」と同じ意味だったんだと思います。
ちょっと言葉が違うだけで、人はこんなにも愛を勘違いしてしまうんです。
今では、この言葉を笑いながら思い出します。
いつかまた彼女に逢えたら、
「結婚はできないかもしれないけれど、幸せだからそれでいいよね」と笑って言うのです。
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