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無限大の「承認欲求」をどうしよう

LINEのグループトークに近況報告のテキストを送った。

他のメンバーが返事をしなくても良いように自分一人で文章を完結させて、午後3時ごろに送信。

するとどうだろう。 

そのあとずっと、誰かから返事が来るのを待っている自分がいる。

「みんな忙しいから返事は来ないだろうな」という思いと、

「誰かは必ず反応してくれるんじゃないか?」という思いが

お腹の中心でせめぎ合ってグルグルと落ち着かない気持ちなる。


この「承認欲求」はもはや病気なんじゃないか、と怖くなるのは自分だけでしょうか。


Instagramはハッシュタグさえつければ、大抵「いいね」がもらえる。

Twitterは「独り言」だから誰かに反応されようがされまいがどうでもいい。

だけどLINEはどうだろう。

見知った仲の人へメッセージを送ったとき、

相手の都合も考えず、

「いつ返事が来るかな。どうして既読したのにスルーされてるんだろう」

などと四六時中考える羽目になる。 

勝手にメッセージを送ったのは自分なのに、である。

正直言ってめっちゃめんどくさいのである。

普段、人への反応が薄いタイプの僕でさえ、

いちいち相手の返事を期待して

「いつ返事がくるかな」と不安に苛まれることがあるのだから、


これってもう、一種の病気なんじゃあないの?と思う。


これがただの友人や知人ではなく、恋人ならもっと不快に感じるかもしれない。

今の時代、僕らは「いつでも」「誰か」から返事がもらえると勝手に期待して疲れてしまう。


この、無限大の「承認欲求」をどうしたらいいのだろうか?


子供のころはよく、手紙で友達とやり取りをした。

今のようにタイムラグなしにメッセージが届くことはなく、

相手がいつ読んだかすらわからない時代に、

こんな風に不安になることはなかった。

なぜなら手書きでやり取りをするということは「時間がかかる」ことをわかっていたし、その時間を待つだけの心の余裕もあったし、

正直手紙を毎日待つほど暇ではなかった。

近所の友達と遊んだり、録画できない番組をリアルタイムで見ないといけなかったし、

図書館で借りてきた本を期限内に読まないといけなかったし、何より夜が短かった。


子どものころの方がずーっと、余裕をもって人と接することができていたかもしれないと思うと不思議だ。


現在21時前。

さっきからLINEの通知が鳴っている。

もしかするとグループラインの友人たちからの返事かもしれない。


天邪鬼で気分屋で、ちょっとめんどくさい性格の僕は、

「すぐに既読すると、まるで返事を期待して待っていたかのようでかっこ悪いんじゃないか?」なんてホント―に馬鹿なことを考えながら、


メッセージの到着を伝える通知ライトをしばし無視して、

こんな駄文を打っているという訳でした。



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