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不遜で傲慢な「悪の組織」
就職活動について報告し合った友人から、
「言ってることがコロコロ変わるけど、結局何がしたいの」とあきれられた。
つい半年前まで、
「転職して県外に行こうかな」と言ったのは僕だ。
今は退職日だけが決まって、その先のことはまったくわからない。
「春までの短期間、住み込みのバイトをしようかな」
そう言ったのは2日前の僕だ。
友人はコロコロ変わる僕の意見を聞いて、とうとう大きな声を出した。
なにせ、県外に行きたいと言った僕と、
地元に帰る希望のあった友人、
「もしタイミングがあって転職時期がかぶったらルームシェアをしよう」
そう話していたからだ。
結局二人の転職時期はかぶらなかったうえに、
僕はこれから何をするかも、決めかねている。
そりゃ友人が怒るのも無理はないだろう。
でも、僕にも言い訳をさせてほしい。
状況はせわしなく変わる。
半年前は緊急事態宣言中で思うように外に出られないジレンマを抱えていたし、
今はワクチンを打って、行動範囲が変わった。
すると入って来る情報もおのずと変わる。
仕事の引継ぎの関係で、本当に予定していた退職日から一か月ずれてしまったのも想定外のことだった。
状況が変わるということは気持ちも変わるということだと思う。
人は、ずっと同じ気持ちではいられない。
だから僕は、信念を貫く人に強くあこがれるのだ。
なぜならそれが、とても難しいということを知っているから。
そしてだからこそ僕は、人に期待しない。
人が変わることを知っているから。
人が、人の思うように動かないことを知っているから。
あまりに自分の中で、他人に期待しないことが当然すぎて、
友人のあきれた声を聴いて初めて「あ、間違えた」と思った。
期待を裏切るならもっと早く言って、もっと早く謝るべきだったかと反省した。
でも誰かに何かを勝手に期待して、思い通りにいかないことなんてよくある。
これは僕が、中学生の時に学んだことだ。
いかにも「これは相手が悪い」みたいな顔をして、
実はすべてを自分の思い通りにしようとたくらむ不遜で傲慢な悪の組織の考え方だと思う。
そして最近もう一つ学んだことがある。
他人からの期待に応え続ける人生はしんどい、ということだ。
親や学校、上司から
理想的な良い子ども、良い若者を演じることが
いかに自分のメンタルを削るか、
僕はこの30年でよく知っている。
そして、
その期待に応えようが応えまいが、
自分の幸福度が変わらないことも、僕はよく知っている。
もちろんこれは誰にでも当てはまることじゃなくて、
人の期待に応えることがやる気やモチベーションにつながる人がいるなら、それはそれで全然いいと思う。
僕はちがった、と言うだけの話だ。
人の期待に応え続けるのは無理だし、
必ずどこかで裏切る自分が目に見えているのに、
どうして自分以外の誰かの「理想の僕」にならなきゃいけないのか全然わからなかった。
人の期待に応えるより、
毎日でも自分の決めたことをコツコツと続けたり、
人の目を気にせずやりたいことを思いっきりやることの方が楽しい。
生きている、と実感できるから。
ひとまず僕は、呆れて苦笑する友人からの電話を切った後ちょっとだけ落ち込んだ。
でもどこかで、「状況が変わったんだから、行動も変わるの、わかってくれよ」と横暴な意見を言いたい自分もいるのだ。
みんな結局自分勝手で傲慢で、
ひとりひとりが心の中に、大なり小なり悪の組織を持っているってことで。
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