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何のために書くんだ。

noteを書いてる方は聞かれたこともあるのではないでしょうか?

「何のために書くのか?」

よく聞くのは「仕事につなげるため」、いわゆる就活の一種であること。

あと「読んだ人が反応してくれるのがうれしい」

この二つは鉄板じゃないでしょうか。

たぶん、大体の人がこのように答えてくれるかと思います。

(他にもいろいろあったらごめんなさい。)

実はTwitterでもこうした内容のつぶやきをたまに目にするんですが、

そのたびに僕は思うんです。



みんなウソついているんじゃないの・・・?



「仕事を得るため」

「反応があるからうれしい」

いや、めっちゃわかります。反応があると、めちゃくちゃうれしい。

それでうまいこと書いた文章がお金になって、食べていけたら尚よし。


それは分かります。


でもみんなが「書く」理由はそんなことじゃないと思います。

言い切りましたね。なぜなら自分もこんな理由じゃないからです。




みんな、「書かずにはいられないから書いている」んじゃないですか?



朝見たニュースのこと。

お昼に公園で食べたテイクアウトのこと。

午後の仕事や勉強が果てなくしなく眠いこと。

終わららない残業をほっぽり出して、帰宅する途中で見た夜空のこと。

失恋した友達に、うまく声をかけられなかった電話のこと。

布団に入って横になったときに、確かなことなんて何も知らない、宇宙の中にたった一人、孤独な自分が生きているんだと意識する夜のこと。


そういう、言葉にしたいけれど、簡単にはまとめられない、

でも頭の中にぐるぐるとうずまく感情たちを、僕らは書かずにいられない。


文章を書くのは、蚕の糸から布を織ることに似ている、と僕は思います。

頭の中に生まれた繭玉みたいな言葉たちを、

丁寧に時間をかけて一本の糸にして、

そしてまたその糸で布を織るように言葉をつなぐ。

やらないと繭玉で頭がいっぱいになって、パンクしてしまう。

そういう、無限気ままに繭玉をつくる蚕を頭の中に飼っているから、

書かずにはいられない。


書かずにいられないから、書いている。

それが、僕が書く一番の理由です。


文章が拙かろうが、書くのが遅かろうが、

たとえ人にうまく伝わらず反応がなかったとしても。

それでも僕らは書き続ける。なぜなら、書かずにはいられないから。


世の中には2種類の人間がいます。

「書かずにはいられない人」と「書かなくても平気な人」

僕らはきっと書かずにはいられない人です。


ひいては、そいういう書かずにはいられない人が、

古今東西、数千の思いを言葉にして編み続けたわけで、

そうした人たちの言葉が、現代にも残っているのです。

きっと僕らもその一部になるでしょう。



先日、NHKで角野栄子さんのドキュメンタリーをやっていました。

角野さんは、ある海外での体験をきっかけに物語を書き、

「私は書くのが楽しい。だから一生書いていこう。そう決めたの」

とおっしゃっていました。偉大な作家先生の思いと自分の思いを比べるなんて不遜だな、と思うでしょうか。

でも僕はその言葉を聞いたときとてもほっとしました。

ああ、書くのが楽しくて、書くのをやめられなくて、

ずっとやっていこうと思っていてもいいんだと。

誰かに認めてもらいたいわけじゃないのにどうして書くんだろうと

不安に思う僕の小さな悩みを笑い飛ばしてくれたようでした。

だから僕も思ったんです。

書くのが楽しい。一生書いていこう。

だって書かずにはいられないのだから。



書くことはある意味でとても孤独です。

でも、書かずにはいられない孤独な仲間たちが今この瞬間も、

過去から未来に言葉をつないでいると思うと、

ちょっとだけ勇気をもらえるから、僕も言葉を紡いでいけるのです。


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