証明可能な「愛」と、証明不可能な「アイデンティティ」について
日ごろから、
「恋愛できる人っていいな」と私が思う理由の一つに、
自分のジェンダーアイデンティティ(性自認)を
証明できることにあると思っています。
例えば私は、
自分の心に「性別はない」と考えています。
男でも女でもなく、ただの「ヒト」です。
そして、これまで「恋愛」をしたことがありません。
(私がよく、イチロー選手や石原さとみさんが好きだと言うと、「それは恋愛とは違う」と言われました。
私には何が違うのか全然わかりませんでしたが)
だから今のところ、一番近いジェンダーは
「アセクシャル」だろうと考えています。
だけどこのアイデンティティ、「性別がない」ことや「誰のことも好きにならないこと」、つまり「ない」ことを証明することはできません。
例えば幽霊やおばけや妖怪や悪魔、サンタクロースが「いない」ことを、証明できないのと同じです。
とにかく、誰も見たことがないし、現実的にあり得ないから「いない」と言う人もいるでしょうが、
「ない」ことを証明することは大変難しいのです。
もちろん、ジェンダーアイデンティティを他人から「証明しろ」なんて糾弾される日は来ないと思いますが(0%とも言い切れない。)
それでも自分の中で揺れ動く「性自認」が時々無性に、不安を掻き立てることもあります。
自分自身のことを他者にきちんと伝えることができないということに、
コンプレックスを感じないと言えばうそになるからです。
その点、誰かを愛せる人は良い。
相手が男であれ、女であでれ、無機物や2次元であれ、
「誰か」を好きになることができた、ということが、
性自認の証明になるからです。
「愛」は「ある」から証明できるのです。
もちろん、恋愛には苦しみやつらさも伴うもの(らしい)ですし、
日本では同性婚も認められず、まだまだジェンダーアイデンティティに関する偏見や差別に晒されて
「誰かを好きになること」でつらい経験をした人もたくさんいると思います。
でもやっぱり私はうらやましいのです。
「人を好きになる」ことができるのは素晴らしい「能力」の一つだと思うし、
それはある意味、強力な「ジェンダーアイデンティティ」の証明だと思うのです。
「愛」は形がないのに「ある」から証明可能で、
私のアイデンティティは性別や恋が「ない」から証明不可能で。
「別に証明する必要なんてないか」と私が私自身に納得するまで、
とりあえずこのモヤモヤと、気ままにお付き合いするしかないようです。
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