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ファンタジーには「母親」がいない
マンガやアニメを見ると、「悪役令嬢」「転生モノ」が最近のトレンドのようです。
王道としては「すでに未来が分かる(物語の展開が分かる)主人公が、悲運や危機を回避しながら進んでいく」というものですが、意外とマンガによってバリエーションが豊かで面白い。
いくつかの作品を読んでふと気になったことがあります。
それは「ある存在の不在」について。
多くの「悪役令嬢」「転生モノ」系のファンタジーマンガに登場しないもの、それが「母親」です。
現在お気に入りで読んでいる作品が20本くらいありますが、
「母親」がいません。
主人公が幼い時に亡くなっているか、あるいは物語の序盤で亡くなるか、悪役として描かれて途中から登場しなくなるか。
とにもかくにも「母親」、いないんです。
その代わり、父親は大いに活躍します。なんなら準主役ポジションの場合もありました。
どうして「母親」の存在が消されてしまうのでしょうか?
子どものそばに両親がそろっている状況が「普通」のはずだ!と主張したいのではありません。
家族とは本来様々な形態があり得ますし、「子供のそばには両親がいなきゃ」などというのは周囲の勝手な憶測にすぎないものです。
そのうえで、僕が言いたいのは「創作物」であるファンタジーマンガの中で、作者が意図的に作り出した世界の中の「家族」に「母親がいない」ということは何か意味があるのではないか?ということです。
僕は何となく「家父長制」の思想が大きいのかなと感じました。
いや、そんな難しい話ではないのですが、スティグマ的な考えからすると、
「母親の存在」は安心感、保護、母性、愛情、家や家族、子供を守る存在であると言えます。
となると、こうしたマンガで描かれる展開的には不利なんです。
主人公が主体的に動いて、悩むことで物語が進んでいくのですから、
その物語に「圧倒的な安心感」、「保護して」「守って」くれる「母親のような存在」がいてはいけないんじゃないか、と考えました。
じゃあどうして父親は存在していはるのかというと
多くの場合彼らが担うは「経済的な守り」です。
金づるみたいなもんですね(最悪の言い回し)
あるいは「血筋」「高貴さ」そうした主人公の特別さを保証するために存在しています。
これも家父長制によるスティグマなのかも、と思いました。
もちろん全然当てはまらない作品もあるかと思いますが、
そうでなくても特殊な設定なので、読者に受け入れられやすくするには
ある意味、スティグマに沿った物語づくりが必要なのかも、と思いました。
「父親の存在は明らかだけど母親は謎、あるいは故人」という物語は
主人公の「特別感」「権力」「自由な行動」を読者に受け入れやすくする力があるのです。
自分の大好きな「ONEPIECE」、登場人物の生い立ちをたどると、こちらも基本的に「母親不在」です。
これに関しては作者の尾田先生が「冒険の対極にあるのが母親」というようなコメントを残しているそうなので、冒険物語の中から「母親・母性的なもの」をあえて外しているようです。
ONEPIECEが世界中で人気のマンガであることを考えると、
家父長制自体はこの数十年間、なんなら数百年間ずーっと世界中で受け入れられている思想なのだな~と思いました。
思い返せば「ONEPIECE」に限らず結構あるんです、母親不在の物語たち。
ファンタジーには「母親」がいない。
そこには人々の中に根付く小さな思い込みが関係しているようです。
でももしかするといつか、「母親」でも、どーんと冒険に出ていくような
そんな物語が生まれる日がくるんじゃないか?
僕はぜひ読んでみたいです。
そんなワクワクした希望を持って。
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