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令和の北前船 2022夏 DAY8-3 信濃川 旅の結び

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信濃川

河井継之助記念館を16時に出発。継之助が北越戦争前夜に新政府軍と談判した「小千谷談判」の現場に行くには時間が短い。
記念館で「ゆかりの地マップ」を眺めていると、長岡市と小千谷市の境界である信濃川を望む河川敷に司馬遼太郎「峠」の文学碑があるらしい。
信濃川は日本一の長さを誇る大河。
旅の結びとしてふさわしい風景かも知れない!と思い、文学碑のある「越の大橋」に向かった。

越の大橋

橋の小千谷市側にぽつんと碑は立っていた。
護岸工事が進み綺麗な堰になっているものの、信濃川はまさしく大河であった。

22:30 新潟港出港。
幸い凪の日本海で船酔いはしなかったけれど、旅の余韻にはもう少し酔っていたい気分。

旅の結び


旅の終わりはいつだってソワソワする。
まだまだ帰りたくない気持ちと、帰って落ち着きたい気持ちが競り合う。
しかし、今回の信濃川のように旅の結びとしてふさわしい風景を目にするとストンと腹落ちした気分に包まれる。
得てして、そういう旅は大成功だ。
旅をきちんと結んでおけば、旅は非日常と日常をシームレスに繋ぐ存在として旅人の生きる糧となってくれる。

かつて150年前,継之助もこの信濃川を眺めただろう。
三国峠を越えて江戸や西国へ遊学に向かうとき、新潟の港へ向かうとき、そして藩総督として戦ったとき…

時代が進み、いくら上越新幹線や関越道があるとはいえ、「高崎 161km」という表示には日本列島の奥深さを感じさせられるのである。

この旅を終え、この投稿を終えるまでに改めて「峠」を5年ぶりに再読破してみた。
司馬遼太郎は「峠」の冒頭部分で、継之助に「ものを考えるには距離がいる」というセリフを吐かせている。今回の「令和の北前船」はまさにそのような旅だった。

途中寄港した秋田港

長旅になればなるほど、普段の拠点を離れれば離れるほど、自分という存在が相対化されてくる。心はリラックスしているのに、頭はフル回転している,そんな長旅ならではの精神状態で1週間以上を過ごした。

遠方には鳥海山

結局、春の東北旅で感じたことに戻ってくる。

本当に知らなくてはいけない、感じなくてはいけない情報はたいてい言語化されていなくて、現地でしか味わえないものはいかに便利な世の中になっても高い価値を保って存在し続ける。
デカルトが「世界という大きな書物」という言葉で表現しているとおり、世の中は言語化されていない情報であふれている。そして,情報の価値が高くなるほど言語化されていないものである。

龍飛崎 ここから津軽海峡横断
函館山 奥には駒ヶ岳
大間崎

どうやら、あと複数年は北海道を拠点とすることになる。
その期間内で津軽海峡の外をどれだけ見聞できるかが今後の人生を彩る鍵になるのは間違いない。

海から見る恵山
噴火湾はもうすぐ

北海道という特異な地に住んでいることを最大限地の利として生かしながらも、自分を相対化する機会をこれから何度も折に触れて作っていこう。

人並み以上にいろいろな経験をして、20代も中盤へとさしかかり、旅に対する感受性がちょうどいい年齢になりつつある。
人生のこの時期でしか経験できないことをこれからもたくさん味わっていきたい。

苫小牧の周分埠頭についたのは翌日15日(木)の16時半。

苫小牧が見えてきた!

帰路、厚真からの道中、お馴染みの胆振の山並みに日が沈んでいった。

「何もない」ことがここでは価値になる。

他を圧倒するような文化的蓄積に乏しいからこそ、新しいものを積み上げていける土壌があるこの土地でやるべきことは残されている。まだまだ頑張りたい。

-完-


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