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SNSを攻撃に使わない為に/分断を避ける為に考えたことをマガジンにした

題名の通りなだけなんです。ヘッダ画像をお借りしています。

これも以前立て続けに立てた(頭痛が痛い)マガジンと同様です。
過去の自分の書きについて、外部からの反応を見ないようにする方法・見えなくする方法がわかった。
それがゆえに過去の自分(過去に書いたもの)と向き合えるようになった、という背景があります。

SNSを攻撃に使う人の特徴は以下の通りです。

SNSのアカウントは自分のものだと思う人は多い。
SNSのアカウントから発される書き込みも同じだとその人が捉える。
つまり、俺の場所で俺様が何を書いたって俺の自由だと考える。俺が俺が俺が
多分実質的にはそれぞれのSNSの規約かなんかに書いてあるんだろうけど(ぼくはSNSを使わないので知らない)、個人情報と引き換えに当該SNSのアカウントを借り受ける、自分用のスペースを無料レンタルしている形なのでしょう。

だから自分だけの何でもできる場所っていうとちょっと違うんだろうなと思うんだけど、上述したような人はそんなの気にするわけがない。だって、

誰かを攻撃する、侮辱する、差別する、迫害するのだって自由だと思い込む。
言葉を選ばなくたって、周りが見たら気持ち悪いと思うようなスラングまみれの投稿をすることだって厭わない。
そこには「俺」の正義があるからです。
自分が正しいと思っている思想こそがすべてだと考えてしまう。
それ以外の考え方をしている奴らはすべからく全員正しくない。
だから、矯正してやらないといけない。その権利があるとさえ思ってしまうのだろう。
それどころか、「俺」がものにしている思想こそ素晴らしくこの世で最強だから、それが正義なわけで、それ以外は悪に見えてしまう。
悪は正義様が滅ぼして良い対象だ。攻撃していい。侮辱していい。差別されて然るべきだ。迫害してやれ。
自分が正義を持っている。その正義で、それ以外の思想を全員「悪」であると見做し、討ち滅ぼしていいと思っている。
自分が思う正義じゃない人は、その正義で塗りつぶして再教育してやるべきだ。
「正しい」というレッテルを掲げて、「その正しさにそうじゃない人々を教育してやって連れて行く」という正しい行為をしていると思っている。

自分が持っている考え方と、そうじゃない考え方を完全に切り分けて捉えるこういとはまさに自分と相手の間に線を引くことです。
つまり分断
だ。
このように、SNS―――ここまでご理解いただければもう別にSNSに限った話じゃなくて、ニュースサイトの書き込み欄だろうがなんだろうが同じであると言えるのだと解っていただけたことだとは思いますが――を戦いの道具に使えると理解している人は、世界に分断を招いている。
いまこの世界にある分断を、より強固なものとすることに貢献しているのです。

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