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太陽に焼かれて殺されたダニの香りの芳香剤を売れ 第10話 8小節分の花嫁

「トレおじちゃん……がハイハットを鳴らすっていうか、さっと叩いてるのわかったけど、よくこういうの思いつくよね。ファンには届いてんのかね」
「いや……本当そう思う。しかも最後の小節の8拍目の裏拍?だし」
「おお」
「正確には16分音符っていうのかな、いや32……?」
「めっっっっっちゃ詳しくない?健康と音符に詳しいの、あんた」
「ちょっとだけやってたから」
「何を?Green Dayを?」
「いや俺はGreen Dayじゃないよ」
「わかっとるわ」
「か、カバーもしてない」
「楽器を弾いてたのか、もしくは弾いてるの」
「うん……」
「めっちゃすぐ元気なくすじゃん。あたしがどんなに照らしても……」
「いや別にそうじゃなくて、明るいよ」
「どこがやねん」
「いやなんか自分のこと話すって暗くならない?俺だけかな」
「お前だけや」
俺は我が身の不明を恥じた。

「でも……えんちゃう」
「そ、そう……」
「今度くら寿司おごりやで」
「急に関西の人?」
「トレの話終わり?」
「いや全然、入り口にも立ってない」
「立てや!」

浅荷は自分のコップを掴んでよろけそうになった。

「つまりこの歌の歌い出しは、アームストロングがひとりで歌い始めるよな、あ、ボーカルが歌い始める、いきなり」
「ああ」
「その時ボーカルは何を考えてるんだろうと俺は思ってしまう、というか……自分がやってた時のこととかを思い出して」
「やってたのね」
「ああ」
「ボーカルを?このGreen Dayみたいに」
「そう。比べ物にもならないけど、俺が自分で弾きながら歌い始めるみたいなシチュエーションとかは同じような歌もあって」
「へえ~~。意外」
「遺されたむくろのこと?」
「それは遺骸」
「はっ」
「急に文学的なこと言い始めんな」
「弾いて歌い始めて、そのまま進んでいけばそのうち別のギターとかリズム隊───リズム隊っていうのはベースとドラムのことだけど、彼らが歌にそれぞれの決まったタイミングで入ってくるのはわかってんだけど、それまではこの世界に俺ひとりなわけです」
「なんか思いつめてない?」
「いやなんかこの空間を、俺の歌を"とりあえず聴いてる"人々だけが集まった空間で、楽器の面子も含めて静まり返ってる中で、異様なことをしてるのはその瞬間は俺ひとりだけになるわけでしょ」
「数学者的な思考だな」
「そ、そうなの?で、大げさかも知んないけどそんなに静まり返った空間で俺だけが機械の増幅も使って一人だけクソ大きな音を出していて……普通に考えたら異常だと思うわけで……でも、そこはそういうことをする場だから俺もその行為に、観客もまだ楽器弾いてないメンバーもその行為に一定のコミットメントを見出してるわけで」
「急にベンチャーのチャラ社長みたいな話し方になった」
「これはその、放課後にやってるスキルマッチのサイトでの話し方の名残が……」
「あんた、わけわからんことばっかしてんのね」
「と、トレの話が始まらない」
「いいじゃん!まだ9時にもなってないよ。まだ靴屋も開いてないよ。まだまだ話す時間が死ぬほどあるってことよ。時間を贅沢に使えるっていう事実がそこにあるだけよ」

浅荷の言ってることは正しいと思うし、別に文句はないんだけど、俺とそこまで話をして何の意味があるのか不思議に思わざるを得なかった。俺は彼女を満足させる話をできるのだろうか?まずこの話自体を完結部分まで持っていけるのだろうか。いや……持っていく持っていかない云々に拘る事自体を彼女は求めていないように感じる。そしてそれが、いわゆる何かを照射する行為に準ずるのかも知れないと俺は思い始めていた。

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