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1年間で映画111個観た

正確には「意識的に映画観ようかなぁ続くか知んねえけど」と思って、当時なんだかすげえ観たかったit(2017)とボヘミアン・ラプソディ(2018)から「数年ぶりに能動的に映画観る」という行為を始めてから1年と2ヶ月ぐらい経過した。ヘッダ画像をお借りしています。


映画を見る場所

ヘッダ画像にもお借りしたんスけど、いま現在映画なんて映画館じゃなくてこういう茶店(サテン)で「消化」するのすら当たり前になっている。勝手に評価するのってクソ偉そうで嫌なんですけど、いい写真ですよね。被写体も良いんでしょう。

で別にぼくはそこらのアドレスホッパー気取りみたいに(さらに別にぼくはアドレスホッパーやデジタル遊牧民とかを貶したいつもりなんてみじんもないどころか、以下の過去noteのように憧れてさえいます)茶店で映画を観ることにアドバンテージなんて感じていないし、映画館に見に行くことへの憧れすらない。映画館で映画観なきゃ終わってるとか一度も考えたことがない。映画館以外の場所で観た映画の数のほうが圧倒的に多い。

映画館で観た回数は5回ぐらいじゃないだろうか。中身のない奴ほど数字を誇る。今回の題名のようです。

映画の観始め

観始めた映画が一個ではなかったから良かったのかも知れない。ITについてはぼくが当時好きだったメディアでさんざん茶化されていたから観たいという気持ちが強く、「憧れのいじられキャラ」に初対面した、みたいな気持ちだったといえるのかも知れない。

当時のぼくにしてはITについて感想をきちんと書いているようだが、途中で観を中断してその絵のわかりづらさについて訴えようとしてここに場をわざわざ移動して書いている。確かにホラーとしても学園カースト物としてもそこまでぼくが求めている感じじゃなかったのは確かだ。

で多分その次に観たボヘミアン・ラプソディがその後のぼくの行動を決定づけてくれた。ITで映画に対しての情熱が消えなかったことも驚きだ。それだけITおよびボヘラプみたいなネームバリューあるタイトルに対して偏見を持たずに観ようと思えた当時のぼくの価値観が真っすぐで良かった。

やりたいことがなさすぎて映画が観れたのかも知れない。今はやりたいことが多すぎて、いま初めて(久しぶりに)観た映画がITで、その中身にあきれていたら(多分あきれるだろう)一年後に映画100個観れてなかったことだろう。

映画を見続けるスキームの作り方

ボヘミアン・ラプソディは凄まじかった。観た直後のぼくは「感情の乱気流で心の作用がイカれそうだ。殺す気か?」みたいな旨を人に語っている。リスト見返したら、その後ショーシャンクの空に見てたのもでかいですね。

だけど、ボヘミアン・ラプソディが良かったショーシャンクの空にが良かったというnoteは一切書いていない。好きなものに対して語るのが野暮だという感覚は確かにぼくの中にあるけど、もう1回きちんと見て書きたいと思ったような記憶もある。

調子に乗っているフレディ・マーキュリーが本当に信頼できる恋人に出会えるところとか、あの歌自体はどう収録しているのか知らないけどフレディ・マーキュリー役の人がぜんぜんフレディっぽくないよなと思ってたのにピアノ弾きながら歌う頃にはこれはこれでフレディだと思ったし、

その後別の映画に普通にこの人が出てきて、しかもエリート街道な勘違い野郎でワロタし、

ショーシャンクの空にの衝撃によってぼくはモーガン・フリーマンが異様に好きなことを思い出して今度はモーガン・フリーマンが出ている映画を漁ろうと思って「人で映画を観る」行為を始められたし、

次には黒人が出ている映画にやたら感動することに気づいて(そういうnoteはさんざん書いた)、

モーガンは古い映画にもガンガン出てるから古いのも観てると「現代でも見れる古い映画は概して内容が良いから見れるようになっているっぽい」ことに気づいて、

なりふり構わず古い映画観てたらいまかなり好きになったマーティン・スコセッシのタクシー・ドライバー(これ自体には未だにそこまで惹かれないけど)と出会い、今度はマーティン・スコセッシの映画を観まくるみたいな「俳優じゃなくて撮った人の映画も見る」行為も始められた。

結果的に、「こうして次の映画を選ぶ」行動変容を自分に促すスキームが(別にそんな物造りたくもなかったけど)勝手に構築できてしまった。数を誇りたくて映画見てるんじゃなくて、こうしてたら勝手に増えていたんです。

ここがこのページのきもなのかもしれません。ぜひ参考にしてください。ならないと思いますが……

後記

俳優で観たり監督で選ぶのってなんか嫌だったぽいわけです。ぼくの中で邪道だったと言いますか……そりゃ簡単に似たような好きなテイストの映画に出会えるだろうよ、的な「Eコマースが一個商品買ったぐらいで下品なクロスセルしようとして関連商品をドカっと出してくるあのハイエナ的行為」を自ら享受しているように感じてしまっていたのかも知れない。

他に例えると、SNSで何かをフォローした瞬間にバババとこっちのアカウントもおすすめですと表示してくるあれです。SNSなんてフォロー数を増やさないほうがまともに使えるのにあの「SNSから離れたくなる要因」の第一位(ぼくの中で)である、少しでも多くのアカウンヨをフォローさせる行為をユーザに強要しようという自己矛盾行為がそれだ。

誰かそういう映画撮って電子商取引の批判してくれないかな。面白くないからだめでしょうか。






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