デジタル遊牧民になれる人
ひとつの場所にとどまらないでテレワーク・リモートワークに勤しむ人のことをデジタル遊牧民とか呼ぶそうです。ご存知でした?ぼくは知らなかった。
有り難いことにその概念をPDF化して発表してくださっている方がいる。
韓国からの一橋大学への留学生の方でいらっしゃる。まず恐ろしく丁寧で正確な日本語に驚かされました。
読み始めれば即わかりますが、世間がこんな感じになる前にもそういった考え方はあって、名前がついていた。勿論ぼくはそれも知らなかった。
ノマドワーカーというそうでした。そういえばロマンシング・サガに出てくるサバンナでランダムな場所で生活している人たちをノーマッドと呼びます。初出当時はおそらく何十年も前だと思うので、ノマドという発音ではなかったといいますかおそらくnomadoというフランス語がまったく一般的でなく定着するはずもなかった。
サバンナをランダムに動き回って定住しない姿はまさに遊牧民ですね。
デジタル遊牧民の定着
また
全世界を旅行しながら自分の経験をSNSにアップしたり、本を書いて生活している人や、趣味で始めたブログが有名になり、そのブログの広告収益で生活しながら自分の会社を設立したケースもある。
こういう人々がいるっていうのはポスト●●時代から薄っすらわかってはいたものの、こう現状に対してまさに適応するためにあるような生き方でもある。ノマド女子ってそういう意味だったんですね。
現代に残るべくして残った、といいますかこれから選択されまくる生き方であるように感じます。ぼくは家から出ないため選ばなさそうですが……
向いてないなら無理やり自分事化する必要も無いとは思いますが、ちょっとは興味が持てたため書いているので少しだけ自分語りで恐縮なのですがぼくは当該文を読んで、最近自分の思考がノマド化しているように感じました。
例えばいま現在ぼくがこの字を書いている時間は、好きな歌手である樋口楓がラジオの生番組に出演していますがこの字を書くことを優先させてしまっています。後で聞けばいいかなみたいな打算もあるのですがなにか字を書くための歌を聴いていて、自由に過ごすことに酔っているような感じすらあります。
ノマドワーカーが自分に酔っているかどうかはぼくにはわかりませんが、仮にぼくがノマド然とした生活を送っていることを認識したのであれば相当酔うんじゃないかなと思わされました。
バーチャル遊牧民
自分への言い訳ですが、割とバーチャルな環境を創る行為というものは自分がバーチャルだと思えばバーチャルみたいな処があるのではないかと思っています。
すなわちYouTubeなんかでバリ島の景色を流しながらコンポーネントでレゲエでも流せば(別に流さなくても、波の音とかでも)、ノマドワーカーにならずともバーチャルノマドワーカーになれます。
もちろん第三者から見てそれは単なるリモートワーカーであり、最大限自分がいる場所が現実のそれではないと思いこむことに特化した環境を作ろうとしているだけであると評されることは仕方ないと思えます。
バーチャル遊牧民もデジタル遊牧民も羊や牛を育てなくていいから気楽ですね。
情報の波と遊牧の限界
ただデジタル遊牧民だろうとバーチャル遊牧民だろうと限界はあるみたいで、
オックスフォード大学の進化人類学者、ロビン・ダンバーによると、人間が知り合って交流可能な最大人員は150名ほどとのことである。
この150という数字は越えられない。
生々しいというか割とリアルに感じられます。
義務教育の学級って大体90人(小学)→200~300人(中学)→もっと(義務教育外)みたいに推移していくと思います。
記憶力が良いとかもあるのでしょうが、小学級では顔も名前も一致するが中学から確かに怪しくなってくる気がする。
一度もクラスが同じになったことがない異性なんか特にそうだと思います。たった3回しかクラスは変わらないため(効率的以外に理由があるとしたらなぜなのでしょう)、畢竟会わずに終わる同級生は現れる。会わないのに現れるとは日本語は難しいですね。
またSNSで関係性が100を越えたあたりになると思いっきり非アクティブな人も出て来始めるため逆に情報に押しつぶされずに助かりますが、200人ともなったあたりから情報の波はかなりの高波となる。ぼくがSNSにログインしなくなり始めるのもそのあたりです。
後記
上記資料はまだ1ページ目ぐらいにしか触れられていないため、またこちらを読んでの感想とかを書いていきたく思います。最近毎日noteを更新する小技としていきなり全部書いちゃわないで、何日かに続ける気持ちを持つことでモチベーションにつながる、内容が途切れずに色々なことに手が出せるという考え方があるような気がしてき、自分に必要であるように感じました。
お読みくださりありがとうございます。
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