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権力者ごときにリモートワークを奪わせるな

ぼくが大切にしている教えとは2020年以降にようやく意識改定が得られたという歴史的事実です。ヘッダ画像をお借りしています。

#大切にしている教え

リモートワークとは労働者が本来すでに勝ち取っているべき当然の権利だ

意識改定とは世界がこうなった時に、すべての生き物がリモートワークを受け入れたことです。この意識変革は労働者にとって自己実現のために必要だった。こんなクリティカルなアクシデントが起こらないとそれすらも手に入らなかっただろう世界にぼくらは何を思うだろう?

まさにそれまでリモワー用のあらゆるインフラはこの世に存在したというのに、自分の目で従業員を監視できないことに支配層は同意する気配すら見せなかった。

そしてぼくらの上にいる(先に生まれた程度でどういう意味で何がどれほど上だと思っているのだろうか?)高年齢層はやっと、世界がこうなっても営業活動……といいますか "利益優先活動" を続けられるんならとしぶしぶリモワーに同意した。

この「しぶしぶ」の部分で連中は自分らの底の浅いプライドが傷つけられたと感じた(知らない。心情の規模が小さすぎて想像すらしたくない)。それでこの年度が明けて速攻の「リモートワーク禁止企業」の勃発がある。あまりに情けない話だ。

武田薬品工業を見習ったらどうだろう?

経団連なんかは平均年齢が定年過ぎばかりの集団で、単に支配層の集まりです。現場からの声を吸い取って公的機関へフィードバックし、さらに現場に還元するんじゃなくて、「支配層の愚痴を聞いて行政に吸い上げて押し付ける」だけをする。経団連はめっちゃ早い段階でリモワーやめさせる空気にしろ、と政府に圧力をかけて顎が外れた。


支配層はいつまでリモートワークをサボタージュだと理解しているんだろう?

リモワーにしぶしぶ従ったことを支配層がいつまでもしつこく根に持っているのは上にも書いた。その目で直接雇用者が自分のためにあくせくしている姿を見て悦に浸れなかったからだ。支配層が雇用者のことを「人材」と呼称するように、人様を物、所有物としてしか捉えていないからこのような考えが生まれる。物なら物らしく、所有者様に媚びへつらっている様を常時見せつけろ。

雇用者の管理なんてリモワーで完結するのに、前時代に造られた脳は次時代の脳には取り替えてもらえないらしい。そこもプライドか。

仮にリモワーでおさぼる者がいたとして、彼は成果物を権力者様へ献上せしむらしゃしゃれりゃれないことだろう。会話のレベルがあまりにも低練度でくだらなさすぎてうまくしゃべれない。だったらその時に切ればいいんじゃないか。その間に発生する雇用費すら払う気がない?だったらはじめから一人も人を雇うな。人様を雇用させていただく商業構造に参画する資格があると思うな。

育休

リモワーの機運がなければ強制育休もここまで浸透しなかっただろうと思う。

支配層がリモワーを休みだと思っていることは人間様のTOPであらせられる(首相はいくら頑張っても人間のトップではない。どの政党が成り代わったとてもちろんそれは同じだ)物体が発した内容からも理解できる。すなわち育休とはリスキリングの最適シーズンであると。

どうやら育休中も企業様のため、ひいては社会様のために学んだり働いていなきゃいけないらしい。じゃなけりゃ新しい命を誇張抜きで一日中世話する間にごみくずみたいなビジネス書を開いて学べ、などという発想は想起されえない。

単純に連中は生まれた子どもの面倒を自分でみなくていいほどの金を持っているからその考えがさも当然にでてくるのかも知れない。

つまり育休とはリモートワークであり、リモートワークとは連中からすればさぼりらしい。異常な矛盾を抱えて支配層は生きている。俺様が働いてるんだから貴様らも会社に出頭しろ。

支配者だけしか乗車できない高級外車に乗り、支配者しか利用できない専用通路や車止めを使い、支配者しか入れない部屋をわざわざ造ってふんぞり返るどこらへんが職の業なのだろうか?強調したくてTVドラマみたいなステレオタイプを例示したけど、どんな企業だって多かれ少なかれ意味不明な権力者特権はあるだろう。

入社式

支配層の必死な口だけの現場主義が馬脚を現したことは入社式が土曜日から(土曜日とは生き物にとって休日だ)開催されている事実が示している。

貴様らを今から所有し、30年も50年も支配下に置く男の顔をよくその脳裏に刻み込んでおけ。これが入社式です。

すなわち入社する所有物を手元に呼びつけ、意味不明な戯言で時間を無駄に消費させる。

ぼくは本当に不思議だと思うんだけど、企業規模が大きくなると来賓に異業種を呼ぶ。それはいい。だが来賓からのメッセージは映像でありリモート接続であることがほとんどだ。なぜ徹底した "現場主義" でありながら来賓は現場に呼ばない?来賓は著名人的側面も持ち合わせており、対面状況に接する頻度が非常に多い。だから万全を期して映像でご参加いただこう。こんなの職業差別以外の何だろう?職業差別とは憲法違反である。

企業とは徹底して効率という単語が好きであり、コストを削る行為を営業利益より愛している。

すべての無駄作業はリモートワーク一発で消えるわけです。OJTが必要?だったら必要だと思う人員が必要な対象を直接呼び出せばいいじゃないですか。そうするだけで新人に「ああ、朝から通勤しなくていいように取り計らわれてるんだ。朝のあれを体験しなくていいんだ。それでもいま僕は出社しているな、新入社員気分を味わえてるな。ありがたい」と感謝すらされるというのに不思議な話だ。

リモートワークにより本当に必要なことがなにかが棚卸しできる。したらその時点で初めて、ちょっと明日(明日、みたいに生き急ぎを周囲に強要するのもナンセンスだ)は実際に集まってあれをしようこれをしようと人を集めてみればいい。定時に集まるなんてナンセンスだ。午前中寝ていたかったら寝てればいいし、気取った茶店で働きたければそれをやればいい。そして午後から気だるく余裕あるテンションで集まればいい。素晴らしいアイデアとは余裕から生まれる。集まらなかったら別の日にすればいい。なぜその程度の柔軟性も持ち合わせず、蟻みたいな命の削り方をするんだろう。

つまりぼくらにははじめから、そして今後も意識改定が得られないのだ。

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