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みどさーという単語はみどさーの女の人しか使わない

引き続いて騎士団長殺しの下巻を再度読んでいて、やっぱな的なことがあった。ヘッダ画像をお借りしています。

これまで多分夥しい数の騎士団長殺しの感想を書きなぐって来たんだけど、やはりいつもどおりそのいずれもと関連しないものである。

前回はこのようなことでした:

『騎士団長殺し』の下巻で特に、人間と時間の関係、記憶と絵画の役割、そして情緒的価値について考える。
山極寿一の理論を引用すると人間が作り出した「人工の時間」と自然の時間との対立、そして人間の活動が生み出す「情緒的な時間」の価値について思わずにはいられない。
また話を通じて、絵画が過去の事実を固定し、時間を「標本化」することに危険性はないのか?よって、集合的記憶にどのように影響を与えるのか?
絵画や記憶が人間の情緒や共感を通じてどのように価値を持つのか?そしてそれがどのようにして人間の時間の認識を変えるか?

https://note.com/fuuke/n/n7b084834d21b

時間を固定するっていうのは書き物も同じである。さらに特定の年齢層を固定化し、他と切り分けてしまう、分断してしまうアラウンドサーティというようなカテゴライズ用の単語も、やにわにマーケティング連中が使い始めた彼らにとってのみ都合のいいセグメンテーションのことですね。ところでなぜ、アラウンドトゥエンティとは言わないのだろう?

読み進めてると、どうしても免色が自分に自信を失った(ように一応見える)、生き物とはどこまで行っても「遺伝子の受け皿」でしかなく、自分の実力とかどんだけ金を造ったとかは虚しさの象徴でしかないとひとりごちる部分が気になった。一回目に読んだ時、奇しくもちょうど一年ぐらい前なのだが、これを知るにぼくはぼくなのだろうな~~~~~ということがわかり面白い:

免色とその周辺の人物関係、特に「秋川まりえ」との関係性に焦点を当てた。
免色は、秋川まりえが自分の子どもであるかどうかについて、明確な答えを求めずにいる。
この態度は、免色が自分の人生や行動に対して持つ「奇異な感情」や自己認識に関連しているのではなかろうか。
免色は、自分の人生や行動が経済や社会にどのように影響しているかについて、具体的な実感を持っていない。
しかし、秋川まりえという具体的な「結果」が現れたことで、彼の中で何らかの葛藤が生じた。
人間の存在や生命には何の意味があるのか?

https://note.com/fuuke/n/nfa181589a6e7

この前後では、免色が秋川まりえのおやじでありおそらく借り腹の子であるまりえをそうとは知らずに育成した(そして育成を放棄した)男についての凄まじい調査実態について述べている。宗教が絡む。また同時にジョージ・オーウェルが過ごした島について書かれていて、もうこれは読者が村上春樹の前回書いた1Q……を想起せずにいられない造りになっていると思うので、初回はそれをさらっとぼくは流したのではないだろうかと思った。

だけど、ここへ来てこの免色が自分をただの遺伝子の受け皿でしかないのかもと半ば自暴自棄になっているこのあたりに、ぼくは騎士団長殺しの絶頂期を感じた。ここの会話が一番好きかもしれない。

確かにどういう話なのかさっぱりワカンネという考え方もあるんじゃないでしょうか。でも、だったらぼくは同じ話を、読んだばっかの話をいきなり二回目なんて読み始めないと思うんすよ。別にぼくだけが異端で変ならそれは勝手にそう判断してくれればよろしい。別にぼくは窓際でワインを傾けながら俺って射たんだな……とか抜かす趣味はない。ぼくは熱心な読者ではない。なぜなら、町とその不確かな壁をまだ一切読んではいないため。手元にあればそりゃ読みたくもなるんでしょうが、そこまでの情熱はない。

だから何かがあるんじゃないかと考える。そしてここが気になったからここの会話に意味がある。以前もここでぼくは止まった。いうなればぼくがぼくへのN1分析をしているということだ。

実際何があるんだろう?免色は結婚すらしたことがないが女を孕ませた可能性はあるという特異な人生を送っており、女を孕ませてはいないがはらませるつもりで結婚生活をしていた主役にその価値とか動機を訪ねる。そして年の話をする。免色は50ぐらいで主役は35ぐらいだ。主役は50を経験したことがないし、免色は60や70を経験したことがない。

ものすごい短絡的なことを言いたくはないんですが、この話では男には「人生の切り開き性」みたいなものが示唆されやすいのだが女にはそれがあまりないように見える。以下はとんでもない内容ばれなので読まないほうがよい。

  • 秋川まりえは最後なんか知らないけど免色にいいようにされちゃいそうだね、みたいな終わり方だし、

  • 秋川まりえの母さんはどういう意志だったのか最後まで全くわからず免色を逆レイプみたいなことをして(それも言ってしまえば免色一人の主観だ)その後死んだし、

  • 柚は同時に二人の男とはやらないけどメタファー的に主役にレイプされたら孕んだし、

  • 小径はあっけなく死んだし、

  • 主役の母さんはなんか子供をなくしてずっとふさぎ込んでた普通の人だし、

  • 絵画教室の女二人はなんか主体性を持って主役と不倫してたように見せてなんかしょうもないフェードアウトするし、

  • 宮城の首絞め女は柚の借り腹みたいな感じだったし、

  • 雨田具彦が愛した金髪の女は戦場のピアニストみたいな殺され方するし、

  • 秋川まりえの義理姉さんの秋川笙子は大学の研究職だか秘書だかしてたのに免色の道具と化してしまったし、

まともに未来がありそうなのは室ぐらいじゃないか。でもこの子はあまりにも生まれたばっかりで……せいぜい免色の事実上奥さんと小径の転生体とか考えるしかないのか、誰もがそう考えるだろうから実際違うのか……

この部分を読んでそのようなことを思ったのだが、もともと書いている人も男なので別に気にするほどでもなければ仕方ないかな~~~~~~~というのが感想だ。

ところでDEAD OR ALIVE Xtreme3という、もうエロゲーにしか見えない通常ゲーがあるんですけど、簡単に概要を言うと夏のビーチで水着の女達が戯れるさまを見るみたいなものです。

こんなかに挿入歌としてemptyという歌があり、夏のビーチといえばレゲエなのかそれなりの確率で多分このゲームのために降ろされたと思われるレゲエの歌がいっぱいあり、どれもいいんだけど特にemptyが死ぬほどかっこいい。

レゲエにかっこいいという感情をはじめて抱いた。それまでレゲエを聞いたことがなかっただけの話であり、けなしているわけではない。

歌詞は全部英語で、結局女と別れて忘れられないという極めて普通のことしか歌われてないんだけど、このボーカルが免色に見えてきた。以前書いたとおり、ぼくは免色が嫌いなYouTuberのイメージに塗られてしまいめんどくせえなと思ってたんだけど、上記の話を通じて再度塗り替えができた気がする。だから何だって言われても何も提示できないんだけど。

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