ステレオタイプなベンチャー・スタートアップとはなんだろう
これは騎士団長殺しの感想なんですが、ある一節でステレオタイプなベンチャー・スタートアップ的職の業に対する偏見みたいなのがあり楽しい。でも読んだ人はどう思ったのだろうか。ヘッダ画像をお借りしています。
それは大体、騎士団長殺しの上巻の100ページ目ぐらいにあり、章では六個目ぐらいにある「今のところは顔のない代理人です」の中に詳しいので見て頂きたい。
販売されてる書籍の中身をコピーしてしまうことにも抵抗があるのでなんとなく説明すると、この物語の主役はベンチャー社員になんらかの偏見を持っていることがわかるわけです。
それは「IT関係の起業家」に対して向けられた目線であり、かようなアントレプレナーたちはみなGパンや運動靴を履いて適当なT-Shirtに身を包んでおり、チェーン店の珈琲を飲むことに生き甲斐を感じる、とされるらしい。
Gpantsは今や50代が履いていてもおかしかないらしいですね。
ぼくはそれを読んで、あまりに筆者の主観が押し寄せてしまい、新潮社の社員がなんとか舵取りをした痕跡が残ってやいないかについて考えた。
でも、数時間考えてあまり見つからなかった……ともあれ人を年で推し量ることほど無益なことはないと普段から述べているぼくが言うのもなんですが、35歳なんていう若さで、なんだったら同年代の何人かをかいつまめばベンチャー起業者なんていくらでもいそうなものを斯様な偏見みたいなものを持ってる描写が書かれるのはどうしたものかと思ってしまった。
それだけ、「絵だけ書いて生きてきた人(もちろん主人公のことだ)」とは偏見に満ち溢れた育ち方をしてしまう、と筆者は言いたかったのだろうか?ぼくにはわからない。
わかりやすいところではスティーブ・ジョブズが似たようなものじゃないかとぼくなりのステレオタイプで考える。だけど筆者はそこそこMacが好きだった気がする。違ったらごめんなさい。
つまり既に癌でいなくなってしまったような「創業者」クラスのガレージ企業の人ならまだしも、世間が何もわかってない(のか?)、別にまだ何も大きなことは遺してはいないような存在がフォーマル以外で身を包むなんて甚だ情けないということなのだろうか?
これを聞くとかつてクールビズに異を唱えた相当の高齢の物語書きみたいな人がいたことを思い出す。別に彼を批判するから名前を出さないのではなく、ガチで忘れてしまった。ものを書く人間のくせに世間の新しい生業に異を唱えるなんてもう筆を置いてしまったらどうか?とその時のぼくは思ったものでした。そして今でもそれは間違っていないと断ずる。
つってじゃあ村上春樹にまでそれを思うのかと言われれば、黙るしかなくなってしまうんだけど。
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