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ネイトがバカにされまくっててワロタ

ネイトとはもちろん「プラダを着た悪魔」のネイト。ヘッダ画像をお借りしています。

かつてアン・ハサウェイは「プラダを着た悪魔」についてファンから「ネイトが『プラダを着た悪魔』の真の悪役だと思いますか?」と質問されたことすらあったという。

ネイトはアンハサの演じる主役であるアンディの同棲までしているボーイフレンドなのだが、いま思い出して全く本筋に関係ないんだけど、徹底してアンディとネイトの交尾シーンが描かれていない。UWAKI相手とは書かれているのに。

それはネイトが弱いことを示しているのだろうか?弱い男とは斯様に女の人の華々しいキャリアを邪魔しに来るから、女の人はせいぜい気をつけなはれや、とプラダを着た悪魔は言っているのだろうか?そんなせせっこましいことをこの壮大かつおもしろすぎる映画が言っているなんてぼくは思いたくないのだが、ああまで徹底して交尾シーンが書かれないことを逆に面白いと思った。

アンディとネイトが抱き合うシーンは何らかの双方のレギュレーションであかんかったとかなんだろうか?わからない。

果たしてネイトはアンハサの見解ではそんな弱者のキャリアを邪魔しにくるクソ野郎ではなかった。ぼくはほっとした。20代ならそんなことぐらいあるよね、らしい。

それにしても真の悪役なんていう小汚い形容詞でネイトを表現する映画ファンがいるなんてこの映画に相応しくない。ぼくはこれまで出会った女の人々がほぼ全員口を揃えてプラダを着た悪魔を褒めていたことに辟易していたのだが、その時は当然未見であった。

そこで満を持して見たらドカボコに面白かったわけです。このようにネイトに対しても好感触を持ったまま読後の感想をいだいている。2006年の映画ファンとは、何らかの原因で狂ってでもいたのだろう。幸いにして、ぼくが出会った人々に「あんたネイト好き?」とか聞かなくてよかった。なぜなら戦争が起きていたからだ。

それにしても見終わるまでアンディとネイトが20代だったなんてわからなかった。といいますか、それならネイトの気持ちもクソわかり手といいますかなんだったら20代のくせしてよくわからん意識たかげなキュレータやってるアフリカン・アメリカンギャルの友達はなんなんだよってことにもなり、なぜそちらにはヘイトが向かないのか……

そして何か格差的なものも感じる。ネイトは食べ物を造るひとだが、雑誌を造るアンディに比較してなめられているような気がする。ぼくはどちらかというとアンディに近いような環境にしかいたことがなかったが、ネイトの立場の人に対してそのようなことを思ったことがない。別になんか自分を聖人みたいにみせたいわけじゃないからあんまこういうこと言いたくないんだけど。

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