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パクリやトレースを気にするクリエイターのためのマガジン

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インターネットの普及、検索サイトの登場、そしてソーシャルメディアの台頭は、それまでごく一部の才能ある者だけだったアートやデザインをより身近なものにした。 しかし、何事にも光があれ…
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#作家性

確かに猿真似はいけない。だがそれは「頭を使わない」からだ。創作は感性=情報量で決まる。
『レッド・ツェッペリン』というロックバンドがある。有名処に似た楽曲を次々発表し「偉大なるパクリ野郎」と呼ばれたが、彼らが世界的名声を得た最大の理由は「真似の完成度が高く、原典より凄いから」だ。

創作は体験に根ざす。コピーは冷たい。
 ――松本零士

創作物は創作者の体験と表現の集積だ。
しかし同じものを見聞しても、感じ方や捉え方は個々で異なり、体験が違えば表現も変わる。故に唯一無二なのだ。
剽窃(パクリ)はそれらの過程を飛ばして「結果」のみ得ようとする卑劣な行為である。

パロディやオマージュ、二次創作は「受け手の持つカルチャーに期待する」ことで成り立つ芸術である。このとき作り手は「元ネタの作者にも伝わる」ことを前提に制作している。
だが、剽窃(パクり)はそのカルチャーに乏しい人々を騙し、さらに原作者本人を失望させるという点において《悪》といえる。

「学ぶ」の語源は古語の「真似ぶ」に由来するという。あらゆる芸術は模倣より始まり、改良と拡大再生産を繰り返してきた産物である。
だが、安直なパクりは「泥棒」と同じ。他者作品の丸写しを自作と偽るのは、どんな理由があろうと絶対にダメだ。😠
https://note.mu/shino_sts/n/n7a93a495ec80

Twitter界隈では、おもに10~20代の絵師の間で「オリジナルのテーマや画風に固執するあまり、模倣(パクり)や模写を敵視する」誤った風潮が蔓延している。
学習とは模倣だ。安直なパクりは無能と同じだが、基礎を学ばねば応用もできない。
https://togetter.com/li/1165235