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世界レコード

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生きることを仕事にするときに考えたこと、出会ったものたち
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書く人のスランプの乗り越え方

書く人のスランプの乗り越え方

ずっと書いてるとどうしたって書けないときがある。仕事で書くプロだろうと好きで書いていようと。

書けないといっても、スランプのかたちはそれぞれだ。

そもそも筆が乗らなくて書けない。何を書けばいいのか見えなくなる。書きたいものがうまく書けない。書いても平板なものになってしまう。書いたものに手応えがない。まあ、ほんとにいろいろある。

スランプという用語は基本的にスポーツの世界で使われる。不調に陥っ

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noteサークルで「これからのライター」をはじめる理由

noteサークルで「これからのライター」をはじめる理由

これまでもnoteで「ライター界隈」の記事を書いてきたのだけど、やっぱりもどかしいこともあって。

端的に言えば「オープンには書けない、話せない」ほんとうのことが結構あるから。ライターで生き続けていくための話でね。

そこだけ切り取られてSNSの海に放流されると、ちょっと違う話になってしまうとか。ちゃんと文脈があってその中で語られるべき、考えるべきことについて共有し合える場所。あればいいなと。

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モバイルバナナはどこに消えたのか

モバイルバナナはどこに消えたのか

僕の記憶が間違ってなければ、モバイルバナナの自販機がどこかの駅にあった気がする。

たぶん東京メトロのどこかの駅。それも目立つ場所ではなく、他の路線との連絡通路っぽいところにポツンと置かれていた。

モバイルバナナといっても、ガジェット的なやつではなく本当に持ち歩いて食べるほうのバナナだ。

そういえば、一時期、バナナのかたちをしたUSBメモリとかあったね。いまもあるんだろうけど、そんなに見かけな

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僕たちはネットでタライを回す

僕たちはネットでタライを回す

電話の評判が悪い。ある調査では、オフィスで仕事の集中を邪魔されると感じる要素のトップが「オフィスにかかってくる電話」だった。

これだけ世の中がネットになって(この言い方も古い)も、やはりいまだに仕事上では電話が鳴り続けているのだ。

たしかによく考えると、宛先もなく「とにかく呼出音が鳴る」「出てみないと、何の用件かわからない」という電話のUXはほぼゲームだ。

中には地雷用件だって含

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一蘭のラーメンで仕事する時代

一蘭のラーメンで仕事する時代

一蘭で仕事してるみたいだな、と思うことがある。あの個別に仕切りのある「味集中カウンター」で黙々と食べる個食スタイルのラーメン店だ。

えっと、よくわからんという人は図書館とか塾なんかの隣の人が気にならない衝立がある自習室を想像してください。それのもっと狭いやつ。

べつに一蘭システムを揶揄してるわけじゃない。

あのスタイルに出会ったときは斬新だったし、いまではインバウンドの外国人にも人気になって

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なぜ、あの飲食店本を読みたくなるのか(その4)人生のセーフティーネットとしての飲食店

なぜ、あの飲食店本を読みたくなるのか(その4)人生のセーフティーネットとしての飲食店

ライターは妄想をよくする職種だ。しないよというライターもいると思うけれど、僕はする。

妄想といってもあらぬことではなく、たまたま目に入った何かについて、その「何か」が持っているヒストリーや現在、あるいは未来を勝手に妄想するのだ。

店をやるという選択肢が人生にあってもいいのかもしれない。そんな気になるbar bossa林さんの売れてる新刊『なぜ、あの飲食店にお客が集まるのか』をめぐるインタビュー

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梅ぼしのように時間を使いたい

梅ぼしのように時間を使いたい

この10年で何がいちばん変わったか。そう問われて思い浮かぶのは「時間」だ。

このnoteもそうだけど、ソーシャルなコミュニティを含めたネットに使う時間は10年前の約3倍に増えた。情報通信白書からざっくり紐解くと。

のどかな2010年代(よく引き合いに出されるけど東日本大震災のときも、まだLINEすら存在しなかった)、時間は「自分」の中にあり、自分が時間を財布から出したり、入れたりしていた。

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信州お歳取り魚戦争

信州お歳取り魚戦争

物騒なタイトルをつけてしまったけど、まあまあそういう趣きがある。

海なし県の信州(長野県)では、もともと「魚」への愛が深い。東京からこっちに移り住んでスーパーに行ったら、魚売り場の充実ぶりが結構衝撃だった。

壁の端から端まで魚、魚、魚。そんな歌あったね。

なんなら都内のスーパーより魚が充実している。お寿司屋さんの数も多い。実は、長野県に海がないというのは都市伝説で本当はあるのだ。

北アルプ

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noteはどこにでもある街になってほしくない

noteはどこにでもある街になってほしくない

この1年でnoteの街はどう変わったのか。正確なところはわからない。

明らかに賑やかになった。コミュニティのイベントも増えた。あちこちで公式もそうでないものも含めていろんな企画がオンラインオフライン両方で人を集めてる。3、4年前のnoteにはなかった空気感。体感でしかないけど。

こうやって街がつくられてくんだな。リアルの街なら何十年単位で見られる現象が、noteでは稲妻の速さで体感できるのだか

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そろそろ自分の大事をちゃんと育てようか

そろそろ自分の大事をちゃんと育てようか

打ち合わせや取材をしていて、小さな違和感を感じることがある。

話の内容も的を得て(射て)、簡潔で淀みない。普通に考えれば何も問題ない。でも何かが滑っていく。

言ってることは正しいのだけど、その人が本当のところ「何を大事にしてる」かが見えないのだ。何かの指標で表せるKPI的なことではなくて。

自分はこれが大事。世の中のトレンドとか、儲かる儲からない、流行る流行らない、スケールするしないに関係な

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食べることはもっと自由でいいんじゃないか

食べることはもっと自由でいいんじゃないか

なんか窮屈だなと思う。食べることと健康が結びついた情報を目にするたびに少し身体がこわばる。

あれをもっと食べろ、あれは減らせ、できれば食べないほうがいい、この食べ方はダメ、これとこれを組み合わせ意識しろ。

そりゃね、健康は大事だよ。それに治療的な文脈で制限かけなきゃいけないときは別。

だけど、なんだろう。食べることのデフォルトの部分からなんか「こうでなければならない」がちょっとすぎるんじゃな

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何もなくても関心があるかどうか

何もなくても関心があるかどうか

世論調査っておもしろいなと思う。世の中のあらゆる問題が「世論調査」という鍋に放り込まれる。どうでもいいことから、どうでもよくないことまで。

○○に関心があるかどうか。○○について反対か賛成か。

鍋はぐつぐつと音を立てたり、よくわからない色に煮詰まったりする。たいていの場合は、あまりおいしそうなものではない。

まあ、そもそも世論調査そのものがいろんなバイアスとか思惑と無縁ではいられないものだし

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雑談と取材は何がちがうのか

雑談と取材は何がちがうのか

雑談のような取材が好きだ。

こんなふうに書くとかなり語弊があるな。語弊といえば五平餅が自動的に思い浮かぶ仕様なので困る。五平餅おいしいよね。

という雑談をしたいわけじゃない。

ライターって雑談して仕事になるんだ! と思われても良くない。各方面で怒られるし、取材させてもらう人にも失礼だ。

その人の名前さえ出ていれば、何を話してたって書いたって喜んで読んでもらえる大物ライターとか大御所作家なら

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いつだって健全な背徳感があるから

いつだって健全な背徳感があるから

データがすべてと言ってくる人がふしぎだ。

データサイエンティスト的世界と真逆に生きてる僕みたいなライターでも、ときどき遭遇する。

データをどれだけ握ってるかで勝負できるとか、データがないと話にならないとか割と本気でぶつけてくる。

よく観察してみるとそういう人ってデータ信者の側面もあるけど、もっと根源的なところでは「人」に寄り添ってないんだ。あえて寄り添わないのか、面倒くさいからなのかはわから

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