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noteはどこにでもある街になってほしくない

この1年でnoteの街はどう変わったのか。正確なところはわからない。

明らかに賑やかになった。コミュニティのイベントも増えた。あちこちで公式もそうでないものも含めていろんな企画がオンラインオフライン両方で人を集めてる。3、4年前のnoteにはなかった空気感。体感でしかないけど。

こうやって街がつくられてくんだな。リアルの街なら何十年単位で見られる現象が、noteでは稲妻の速さで体感できるのだからすごいし面白い。いい時代に生きてるなと思う。

けど、同時にnoteがどこにでもある街になってほしくはないなと思う。

「国道16号線的」という社会学の研究がある。ファミリーレストラン、家電量販店、紳士服やファストファッションのチェーン、大型ショッピングモール。日本中どこにでもあるロードサイト店が並んだ「典型的」な日本の郊外風景。

社会学の研究者の中には、国道16号線(横浜を起点に相模エリア、多摩、埼玉、千葉の首都圏郊外を環状で結んでいる道路)エリアの成り立ちや変遷、人の動向が「日本の平均」っぽいと調査考察する人もいる。

あの、常に人がそこを目指して集まっているけれど、どこかふわふわした実体のない賑わい。

そういう郊外の空気も個人的には嫌いじゃない。そこで暮らしたいとかではなく、ある種のエモさもはらんでるなと思う。

ただ、noteの街が国道16号線的になってほしいかというと、そうではないんだ。

リアルの街もそうではない街も、その圏内に人が増えれば、当然そこに収益機会可能性が生まれる。常にそういうエリアを探してる企業は「ここで何かやらないと」と進出を考える。

それ自体はべつに正義でも悪でもない。そういうものだと思う。ただ、そこで他と同じように物件を確保して(あるいは街を運営する側がリーシングして)店を出せば客がつくかというとそういう問題ではない。

noteの住人とかnoteに遊びに来るユーザーはそういうのを求めてない人も多いから。

なんだろう。noteって「どこにでもある郊外ロードサイト」みたいに、ただ人が集まってるから出せば人が訪れるわけでもない難しさと面白さがあると思う。

いくらnoteがすごくアクティブユーザーを抱えてる街だからといっても、結構、街の中の人の動きは自由だ。

しかも、ときには有名ブランドより個人やユーザー相互でつくり出している「楽しそうな空気」のほうになぜか引き寄せられる。

「個の存在感」がフラットに立ち上がって街の魅力になってるのがnote独特。

ストリートというほどマイナーでもなく、個の顔を消してしまうほどスケールするわけでもない、ほど良い街の感じ。

地方都市(あえての言い方だけど)でも、それなりに経済が回ってて、人も店の顔もカラフルで、独特の文化や情緒性もある街ってあるけど、そういう街が好きだ。

街の人も、そこを訪れる人もみんなそれぞれのその街の「好き」を楽しんでる。

noteがいつか「ネットの世界で“好きの文化”がつくった最初の街」って言われるようになるといいんだけど。