ふく子

高一のときアメリカに短期ホームステイ。英語が通じず人見知りもして撃沈。一念発起して学校…

ふく子

高一のときアメリカに短期ホームステイ。英語が通じず人見知りもして撃沈。一念発起して学校英語を通じる英語になるよう勉強。大学ではバックパックでヨーロッパ一周。卒後、オーストラリアへ留学。日本語教師。

最近の記事

何者にもならなくていい

最近思う。私は、何者にもならなくていいのではないか。 ずいぶん昔から、私はずっと「何者かになりたい」と思ってきた。自分にしかない可能性があって、それを実現するのが人生の目的ではないかと。別に、偉い人になりたい、ということではない。生活に困らないお金は欲しいけど、人がすごいと思うような立場を得たり、仕事に就きたいと思っていたわけでもない。 でも「自己実現」とでも言うのか。自分にしかない「何か」を実現したいと思ってきた。そのためにその場その場では自分なりに頑張ってきた。 で

    • ベトナム日記6:居場所

      フエに来て、ほぼ一人で過ごしている。 仕事で来ているのだが、Zoom会議や打ち合わせでたまに話す以外はホテルの部屋で1人で働いている。 異国の地で1人で過ごす。 無意識に自分なりのパターンを作ろうとしているのに気づいた。 朝食で座る席。 ビュッフェで何を選ぶかのルーティーン。 夕方の散歩。 1人だとなかなかお店に入りにくくて、食事はスーパーで買ったパンでサンドイッチを作って食べたり、配達してもらったりしている。 ベトナムはウーバーイーツのようなアプリで簡単に配達し

      • ベトナム日記5:すぐれものパンツ

        ベトナム中部の街、フエに来た。 そしてここですぐれものパンツを見つけた。 今私はこのパンツを履くたびに自由な気分になっている。 フエはホーチミンと比べると断然「田舎」だが、ベトナム最後の王朝があった古都で、世界遺産もある。旅行者向けの店が多く、動きまわるのにちょうどいい広さだ。 ホテルが河沿いにあることもあり、また、仕事に少し余裕ができて、こちらに来てよく散歩している。 水量が豊かな、ゆったりとした流れの河。中州があり、緑が河の中央に見える。そこに舟が浮かび、川沿いに

        • ベトナム日記4:てっぺん

          ホテルの部屋から見える家が気になっている。 高層ビルのてっぺんに、ちょっと場違いな家が乗っかっているのだ。 「乗っかっている」という言葉がぴったりな一軒家。いったい誰が住んでいるんだろう。 家の周りには緑もあって、地上から家の一角を切り取ってビルの上に乗っけたよう。写真ではよく見えないかもしれないが、物干しのようなところには、クリスマスのイルミネーションのような小さいライトが飾ってあって、夜になるとちかちか光っている。 誰が住んでいるのか、時々窓からのぞいていたが、結

        何者にもならなくていい

          ベトナム日記3:道を渡る

          土曜日の朝、また散歩に行ってきた。 前から入ってみたい路地がホテルの近くにあった。何かありそうな雰囲気。気になっていたが、2週間行けずにいた。今日は勇気を出して行くことにした。 いままで行けなかったのは、道が渡れなかったからだ。 ベトナムの大都市で生活する上で、習得しなければならないスキルに「道を渡る」ことがある。 ホーチミンはどこもかしこも車とバイクが走っている。歩道にもバイクが入ってくるので歩くこと自体がドキドキの連続だ。 交差点は信号がある場所あるが、信号を守

          ベトナム日記3:道を渡る

          ベトナム日記2:屋台

          ベトナムに来て目につくのは、道端に座っている人たちだ。お風呂の椅子のようなプラスチックの椅子に座っている。 よく見るとあちらこちらに屋台が出ていて、そこで買ったものを飲んだり食べたりしている。 屋台は日本にあるような大きなものでなく、ホテルのレストランのワゴンをちょっと大きくしたようなもの。飲み物、フォー(米粉の麺のあっさりしたラーメンのようなもの)、バインミー(ベトナム版フランスパンサンドイッチ)などを売っている。 作りはシンプルで基本ファストフードだが、肉の塊がおい

          ベトナム日記2:屋台

          ベトナム日記1:ホーチミンの朝

          仕事でベトナムに来ている。 1週間ほど前にホーチミンに到着した。学生の海外研修随行で来た。あまり自由な時間はないのだけど、朝早く散歩の時間ができた。 ベトナムの朝は早い。5時ごろにはピッピーと車のクラクションの音が聞こえる。9階のホテルの部屋で窓を閉めていても聞こえる。 この音を聞くと「海外にいる」っていう感じがする。 一体この人たちは何時に起きているんだろう。 夜が早いというわけでもなさそうだ。 私は夜ほとんど外出していないのだけと、ホテルの窓から外を見ると、バイク

          ベトナム日記1:ホーチミンの朝

          留学生との25年間9:お正月

          しばらく投稿をお休みしていたのだけど、年末年始のお休みにちょっと時間ができたので、留学生の「お正月」について書きたいと思う。 (日本にいる外国人留学生は9割がアジア人なので、アジアのお正月についてわかる範囲で書いてみます。間違っていたら教えてください。) 中国では「春節」と呼んで「旧正月」を祝うことは、「爆買い」(すでに懐かしい言葉だ)ニュースなどで聞くが、旧正月を祝うのは中国だけではない。韓国、ベトナムでも旧正月を祝う。モンゴルも旧暦で正月を祝う。誰かがモンゴルはちょっ

          留学生との25年間9:お正月

          留学生との25年間8:つながる

          人は一人では生きていけないという。社会や他者と何かしらつながる必要があり、刑務所で一番きつい罰は「独房」だと聞いたことがある。 そうなのだろうか。 人はなぜ他者が必要なのだろうか。 人の悩みの多くは人間関係だ。社会は残酷でフェアじゃないことも多い。それなのに他者や社会が必要なのはなぜ? あなたはどう思いますか? 私が考える答えは、自分自身を理解し、自分の存在意義を感じ、自分を取り巻く世界を理解するには「他者」が必要だから、ということだ。そしてここ25年間ぐらい、私に

          留学生との25年間8:つながる

          留学生との25年間7:倒産?!

          ある日、勤め先の日本語学校が倒産してしまった。もうずいぶん前の話だが、今日はその時のことを書こうと思う。 みなさんは「日本語学校」という言葉を聞いたことがあるだろうか。外国人が日本語を勉強する語学学校で、来日した留学生の多くは、まず日本語学校に入学する。そこで日本語を学び、その後大学や専門学校へ進学するのだ。 日本語学校は、学校法人化しているところもあるが、多くは株式会社や有限会社だ。零細企業も多い。私が勤めていた学校もそんな会社だった。 そのころ私は結婚していてダンナ

          留学生との25年間7:倒産?!

          留学生との25年間6:日本語はできないけれど

          Noteへの投稿を始めて、いままで出会った留学生のことをあれこれ思い出している。大勢の学生の中で、なぜか自動的に頭に浮かんでくる学生が何人かいる。南アジア出身のBさんもその一人だ。 Bさんは20代の男性だった。小柄でどこか気が弱そうな印象を受けた。来日して間もないころは、「気がついたらよく分からない国にいました」いうような、不安げで、周囲をうかがっている小動物のような様子だった。 一方、彼はちょっと「大人」というか「老けた」というか、「学生」というカテゴリーで表現しにくい

          留学生との25年間6:日本語はできないけれど

          留学生との25年間5:来日

          昔アメリカの大学生向けプログラムを担当していたとき、よく成田空港へ学生を出迎えに行った。アメリカ各地から到着する学生を迎え、電車で東京まで連れてくるのだ。待ち時間も長く、一日で東京・成田を往復し、疲れる仕事だった。でも私はこの仕事がけっこう好きだった。それは来日時の不安とワクワクを学生と一緒に感じることができたからだ。 ちょっと想像してみてほしい。あなたはアメリカ人で、アメリカの地方の大学に通っている。子供のころ、ポケモンが大好きで、「ワンピース」や「Naruto」がバイブ

          留学生との25年間5:来日

          留学生との25年間4:スリランカ時間

          皆さんにとって夏の楽しみは何だろうか。今はコロナで外出もままならないが、ビーチ、バーベキューはけっこう定番なのではないだろうか。夏のビーチでバーベキューというと、私はスリランカの学生たちと出かけた日のことを思い出す。 ずいぶん前、スリランカの学生がたくさんいるクラスを担当した。初級のクラスで、0から日本語を教えた。 担当したスリランカの学生は、明るくて朗らかな学生が多かった。目が大きく、褐色の肌に白い歯が輝いて、表情が豊かだった。授業でも、冗談を言い合いながらよく笑ってい

          留学生との25年間4:スリランカ時間

          留学生との25年間3:あなたの夢は?

          「あなたの人生の目的は何ですか」と問われたら、皆さんはどう答えるだろうか。 私はこれまで、人生の「意味」をずっと探してきた。「自分は何のために生きているのだろうか」と自らに問いかけてきた。この答えを探すこと自体が人生の目的であるとすら感じるようになっていた。そして、人生の意味や目的は、自分が精神的に成長した先に見つかるのではないかと思っていた。でも、私が接してきたアジアの留学生にとって、人生はもっと単純で明快なものだった。 日本語を教えていたころ、新しい文型練習で留学生の

          留学生との25年間3:あなたの夢は?

          留学生との25年間2:初めての学生

          初めて教えた学生のことは忘れないと言うが、確かにそうだと思う。私にとっては、本格的に日本語教師になり最初に担当した留学生。特にその中の一人のことがその後の私の「原点」となっている。 25年ほど前、私は地方の大学の非常勤講師として働き始めた。最初に担当したのは来日したばかりの留学生向け日本語クラス。学部進学前の予備教育として日本語を勉強するコースだった。学生は5人。タイ人2人、中国人2人、スリランカ人1人。全員女性だった。私もまだ20代で、大学の授業というより、寺子屋みたいな

          留学生との25年間2:初めての学生

          留学生との25年間:初投稿に向けて

          私は約25年間、留学生関係の仕事ばかりしてきた。最初は日本語教師として、次に事務職員として働いた。大学、専門学校、日本語学校などいくつかの学校を転々として、さまざまな留学生に会った。私にとっては日々留学生がいるのはあたりまえで、外国人がいない職場のイメージがつかない。 日本の「あたりまえ」は留学生にとっては未知の世界で、留学生の言動は時に理解不能だ。そんな「こっち」と「そっち」を行き来しながら仕事をしている。日本人の担当教員や関係部署に留学生の視点や考えを「代弁」したり、問

          留学生との25年間:初投稿に向けて