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留学生との25年間4:スリランカ時間

皆さんにとって夏の楽しみは何だろうか。今はコロナで外出もままならないが、ビーチ、バーベキューはけっこう定番なのではないだろうか。夏のビーチでバーベキューというと、私はスリランカの学生たちと出かけた日のことを思い出す。

ずいぶん前、スリランカの学生がたくさんいるクラスを担当した。初級のクラスで、0から日本語を教えた。

担当したスリランカの学生は、明るくて朗らかな学生が多かった。目が大きく、褐色の肌に白い歯が輝いて、表情が豊かだった。授業でも、冗談を言い合いながらよく笑っていた。教えるのが楽しかった。

夏休みに入るころ、学生が「海へ行きたい」と言った。夏休みはバイトばかりで楽しみがない、日本の海を見てみたいというのだ。故郷では海は身近でそれがなくなって寂しいという。

このクラスを一緒に担当していたA先生と話し、みんなを海へ連れていくことになった。学生のアルバイトの都合を確認し、お出かけは8月末に決定。お盆後で、泳ぐのは難しい。海岸でBBQをすることになった。ビーチは遠く、BBQ機材を持って電車で移動するのは難しい。高速を使っても1時間以上かかるが、A先生と私がそれぞれ自家用車を出して学生を乗せていくことになった。

今ならとてもこんなことはしない。事故に遭ったらどうするのか、学校で加入している保険ではカバーできない、特定の学生だけお出かけに連れて行っていいのか、そんなことを考えてしまう。しかし、当時は非常勤講師という比較的気軽な立場だったこともあり、「学生の喜ぶ顔が見たい」という気持ちだけで深く考えず実行した。

私は自慢じゃないが、アウトドアは全く分からない。BBQも留学中に「食べた」ことがあるだけ。でも「学生たちのため」と思い、弟からBBQの機材を借り使い方を習った。生まれて初めて「炭」も箱買いした。足(車)と機材、紙皿などは私たち教員が準備し、肉だけは学生が食べたいものを買ってきて、割り勘にすることになった。「みんな」に頼むと「誰かがやるだろう」と思ってうまくいかないことがあるので、比較的頼りになりそうな学生を「肉担当」に任命した。準備は万全だ。

お出かけ前、かなり気合が入っていたのだろう。私はひさしぶりにマフィンを大量に焼いた。学生たちの好みに合うように甘めにして。暑い夏にマフィン、どこかずれている気もするが、あの時は本気で学生の喜ぶ姿を想像しながら自宅のオーブンで焼いた。

おでかけ当日、荷物をトランクに詰め込み、意気揚々と待ち合わせ場所へ行った。暑い日だった。熱気と日差しを肌に感じ、日陰に入っていても汗が流れる。A先生も早めに来た。しかし、待ち合わせ時間になっても現れたのは私たち2人だけだった。

学生に電話をすると、これから行くという。15分ほど過ぎてようやく1人来た。「先生、暑いね」フラッと現れた学生が言う。「すみません」も何もない。イラつきながら「ほかの人は?」と聞くと、「もうすぐ来る」という。その後、1人、また1人とポツリポツリ現れた。しかし、肝心の肉担当が来ない。置いていこうかと思ったが肉がなければBBQにならない。私は肉担当の人選を誤った自分を呪った。30分ほどして、ようやく肉担当が現れる。しかし手ぶら。「お肉は?」と聞くと「今から買いに行く」。「今から?」自分の中に殺気を感じた。でもしょうがないので待つ。待ち合わせ時間から1時間ほどしてようやく出発になった。

実際のBBQの様子は記憶に残っていないのだが、学生たちが見たこともないほど生き生きとしてリラックスして楽しそうだったことは覚えている。スリランカの学生たちは教室で明るいので、日本での生活を楽しんでいるのだろうと思っていた。しかし、ビーチで見る彼らは「白帯」と「黒帯」、「サイヤ人」と「スーパーサイヤ人」ほどの違いがあった。全身で自由を感じ、声を張り上げ、教室で見る彼らとは違う生き物のようだった。

私たちはこの「特別な日」を終わりにする気になれず、夕方までビーチで過ごした。日も暮れ、これ以上はいられない時間になって、ようやく荷物をまとめた。「さあ、帰ろう」となったとき、学生たちがいっせいに海に走って行った。波打ち際で歓声を上げる。あの時の学生たちのシルエットがこの日の記憶として私の心に刻まれている。

遊び疲れた学生たちを乗せ、私は慣れない高速を体を固くして運転していた。すると、後ろのシートにいる学生が一人、声を出した。「先生、アルバイトがあります。」「アルバイト?」。バイトがない日を選ぶ、ということで8月末になったはずなのに、何をこいつは言い出すんだろうと思った。「今日、アルバイトがあります。」「何時?」「X時です」見ると、1時間も残っていない。「先生、何時に着きますか」「これから1時間以上かかりますよ」「でも先生、アルバイトがあります」。バックミラーに学生の困った顔が見える。「電車がありますか。」「電車?」「電車のほうが速いかもしれません。電車に乗ります」。ここは田舎の高速だ。駅まで行って電車に乗るより車のほうがずっと速い。しかし、頭ごなしに言っても学生は納得しないだろう。「駅は遠いですよ。電車も少ないです。車のほうが速いですよ。」学生は隣の学生とシンハラ語で何やら話し、最後にようやく納得した。そしてアルバイト先に電話をした。

学生が約束の時間に現れないこと、突然「解決しているはずのこと(少なくともこちらはそう思っていること)」を言い出すこと、これは留学生対応で「あるある」の話だ。今だにどこまでが「文化的な違い」で、どこからが「個人の勝手」なのか、どこまで学生のことを受け入れるべきなのか私にはわからない。一つ言えるのは、理由はともあれ、確実にこちらの忍耐が試されるということだ。「学生たちのため」と思い入れると足元をすくわれる。私はよく、自分がゴムバンドになった気分になる。どこまで伸びるのか学生に試されているのではないか。

あの日も、待ち合わせ場所でマフィンを投げ捨てて家へ帰ろうかと思った。帰りの車の中、「よい一日だった」と感慨に浸ったとたん、思わぬ事態になった。本当に想定外が多い。

こんな留学生担当の仕事で一つ自分に言い聞かせていることがある。学生のためを思って自分が何をしようと、「私は自分が選んでこの仕事をやっているのだ」と思うことだ。時には頭にきすぎてこの言葉が効かないこともあるが、最後にはこれで自分を納得させる。

一方で、この仕事をしていると、あの日のスリランカ学生の姿のように、思いがけないご褒美がある。それが案外心に刺さるのだ。それで時々悪態をつきながらも、25年もたってしまった。


ねぎとろ珈琲さん、素敵な写真をありがとうございます。



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