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留学生との25年間5:来日

昔アメリカの大学生向けプログラムを担当していたとき、よく成田空港へ学生を出迎えに行った。アメリカ各地から到着する学生を迎え、電車で東京まで連れてくるのだ。待ち時間も長く、一日で東京・成田を往復し、疲れる仕事だった。でも私はこの仕事がけっこう好きだった。それは来日時の不安とワクワクを学生と一緒に感じることができたからだ。

ちょっと想像してみてほしい。あなたはアメリカ人で、アメリカの地方の大学に通っている。子供のころ、ポケモンが大好きで、「ワンピース」や「Naruto」がバイブルだった。大学で日本語を少し勉強して、夏休みに念願の日本へ行き、短期プログラムに参加することになった。アメリカ各地から色々な学生が参加するプログラムで、一人で日本へ行く。初めてパスポートを作った。

家を出発して、国内線と国際線を乗り継ぎ、20時間以上たったころ、ようやく成田空港に到着した。飛行機で少し寝たが、興奮と疲れと眠気がごちゃまぜになっている。初めての入国審査。緊張。ようやく税関をとおりぬけたらプログラム担当のスタッフのサインが見える。「よかった。無事に会えた!」。

学生がこんなふうに思ったのかどうかは分からないが、留学生は来日の日のことを結構覚えている。こちらにとっては仕事の一部なのだが、「先生、迎えに来てくれましたよね」、「あのときxxxしてくれましたよね」と言われることがあった。まるでひな鳥が初めて見た「動くもの」を「親」と思うように、異国で最初に手伝ってくれた人のことは印象に残るのかもしれない。

担当していたプログラムでは、4、5時間は空港に待機して、次々と到着する学生を出迎えた。最後の学生が現れるまでの待ち時間に、先に到着している学生は「初めての日本」を空港で体験する。

自動販売機の前で何を買おうか吟味している学生。「メロンソーダ」はどれかと聞かれた。日本のアニメで「緑色の飲み物」を飲んでいるのを見て、それが「メロンソーダ」というものだと調べたそうだ。目の前の自動販売機にはないことを説明しながら、(そういえば「メロンソーダ」最後に飲んだのいつだったっけ)とふと思ったりする。

売店で漫画雑誌「ジャンプ」を買って興奮している学生がいる。英語版のジャンプは国で読んでいたが、とうとう「本物」を手に入れたそうだ。宝物を手に入れた子供のようにはしゃいでいる。

「日本で何したい?」と聞くと、「ポケモンセンターに行きたい!」という学生が結構いた。ポケモンセンターなるものがこの世に存在することすら知らなかったが、そこではポケットモンスターの形をしたパスタが売っているそうな。そのほか、「バトラーカフェ」(「お嬢様お帰りなさいませ」と迎えてくれたと後で体験談を聞かせてもらった)、「テニスの王子様のミュージカル」など学生に教えてもらったことも多い。

出迎えるのは毎回10名程度の学生で、その学生を連れて京成電車で東京まで連れていくのが出迎えミッションのハイライトだった。生まれてから一度も電車に乗ったことがない、という学生が多かったため、一人ひとりに切符を渡して、改札で説明する。「ここに切符を入れて、前に進むと切符が出てくるから必ず取ってください!」。学生一人一人が緊張した趣で切符を改札に入れ、ぎこちなく切符を取ると緊張が笑顔に変わるのがかわいかった。

窓から見る風景も、学生と一緒に見るとちょっと違って見える。田んぼ、家の様子、木々、どこが日本的なのだろう、と思いながらながめる。学生は「家の形が違う」「田んぼがある!」などコメントしていた。棚田ならまだしも、普通の「田んぼ」が「日本」「アジア」を感じさせるとは知らなかった。春は桜が見えて、さらに興奮度は増す。

電車に乗っていて学生がいつもびくっと驚くことがあった。電車がすれ違うときの風圧と音だ。こちらは気づきもしないが、まるで爆発でも起きたような反応をしていた。人の「慣れ」って物事を感じなくさせるんだな、と思ったりする。

最後の難関は日暮里駅での電車の乗り換えだ。学生と一緒に降りる「東京」は圧倒されるような「人」「人」「人」。山の手線に乗るとすし詰めになる。「こんなに接近するの、国では恋人だけ」誰かがコメントした。電車に「テレビ」があるのも驚いてみている。人、広告、映像…情報量の多さに酔っ払いそうだ。

「出迎えミッション」は寮へ学生を連れていき、設備の説明をして、近くのコンビニで食べ物を買って終わりだった。ベジタリアンの学生やアレルギーがある学生に何が食べられるか説明したり、おにぎりコーナーで立ち止まる学生にどれが「魚の卵」なのか教えたりした。先日のオリンピックで海外の記者が日本のコンビニのすばらしさをレポートして反響を呼んだそうだが、コンビニは学生にとってワンダーランドだ。何でもそろっている。値段もそこそこ。アニメキャラのついたお菓子などもあり、アニメが一般の商品とコラボしていること、生活の一部としてアニメがあることに感動する学生もいた。

空港出迎えはいつも長い一日だったが、どこかさわやかな楽しさを感じられる仕事だった。

1980年代、高校生のときにアメリカにホームステイをしたことがあるが、その時、「日本は中国の中にあるの?」「日本人は紙の家に住んでいるんでしょ?」と真顔で質問された。あのころ私は世界の中心はアメリカだと信じていた。まさかそれから数十年後に日本でアメリカ人に「ジャパン」を説明しているなんて思いもしなかった。時代の変化って面白い。


mjuberryさん、素敵な写真をありがとうございます。

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