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留学生との25年間8:つながる

人は一人では生きていけないという。社会や他者と何かしらつながる必要があり、刑務所で一番きつい罰は「独房」だと聞いたことがある。

そうなのだろうか。

人はなぜ他者が必要なのだろうか。

人の悩みの多くは人間関係だ。社会は残酷でフェアじゃないことも多い。それなのに他者や社会が必要なのはなぜ?

あなたはどう思いますか?

私が考える答えは、自分自身を理解し、自分の存在意義を感じ、自分を取り巻く世界を理解するには「他者」が必要だから、ということだ。そしてここ25年間ぐらい、私にとって「他者」の多くは留学生だった。

私は自分が人と付き合うのが得意でないと感じている。友達がいないわけではないが、職場でも何かの集まりでも、目的なく人と会話することに、ぎこちなさを感じてしまうのだ。「世間話」で何を話せばいいのか分からない。天気の話をして、「ところで人生の意味についてどう思いますか?」なんて聞けないし。

しかし、そんな私でも、役割を与えられると人並に対応できるようになる。「先生」、「学校の職員」という役があれば、その立場で人と話せる。初めて会う留学生に自己紹介したり、廊下で見かけた学生に積極的に近づいて「最近どう?」なんて聞くことができるのだ。

留学生担当、という役割を持つことで、私は人とつながり、そのおかげで世間を知り、自分の考え方の癖や価値観に気づくことができた。

留学生と接していると、「こうすることになっているからする/しない」という状況に、「なぜ?」と真正面から反論が来ることがある。特に日本人が「あたりまえ」と思っていることに疑問を投げかけてくる。その発見がおもしろい。

アメリカのプログラムの担当をしていたとき、発達障害を持つ学生が結構いた。10年以上前の話だ。今では結構議論されているが、当時、私は発達障害ということをよく知らなかった。しかし、アメリカの大学では発達障害がある学生に対して、試験等の特別対応することが「普通」で、あたりまえの権利として認められているということだった。担当したアメリカの留学生も、特別対応してもらうことを当然のように期待していた。

学生は「部屋に人がいると集中できないから試験は個室で受けたい。試験時間も延長してほしい。」と言う。医師の診断書もある。聞くと、学期末の試験だけでなく、日々の漢字や文法の小テストも同様に対応してほしいということだった。

小テストも別室で?毎日?

最初は「なんてわがままな要求なんだ」と思ったが、この学生だけではなく、その後も似たような希望を出す学生がいた。それで本を買って発達障害について学んだ。あいにくアメリカの大学と同様の対応ができるだけの環境はなかった。どこまでできて、何が無理なのか、学生の希望を聞き、こちらの状況を説明し、落としどころを探して対応することを学んだ。

「トイレの洗面台で留学生が水筒に水を入れて飲んでいるそうです。日本人学生から気持ち悪いという意見が出ているので、留学生にそんなことはしないよう言ってください」と依頼を受けたことがある。

「トイレで水を汲んで飲む?」

反射的に「それはだめだろう」と思ったが、よく考えるとなぜだめなのか。校舎は新しく、トイレもきれいだ。洗面台の蛇口から出る水も、給湯室で汲む水も同じじゃないか。トイレは「穢れ」の場所だから?

留学生を通して世界の変化を感じることも多い。

別の記事にも書いたが、25年前の中国人留学生と、今の中国人留学生はまるで別の国の人のようだ。以前は経済格差があり、苦労している学生が多かったが、今は豊かな中国人留学生も多い。「財布を落とした」というのでいくら入っていたか聞いたら「5万円」なんて答えが返ってくる。住んでいるのは新宿のマンション、日本留学が決まったときに父親が購入した、という学生もいた。中国人留学生はみんなお金持ち、ということではないが、確実に変化している。一方、最近の中国人学生は以前に比べ精神的に弱くなったようにも感じる。一人っ子世代で大切に育てられたんだろうな、と思うと、国の政策が個人に与える影響の大きさについて考えさせられる。

コンビニなどで外国人を見かけることが多くなった、介護人材が足りずビザの制度が緩和された、なんて日常の様子やニュースが留学生とつながっていることもある。日本の少子高齢化→人材不足→留学生のアルバイトの増加→日本留学へのモティベーションが高まる、なんて図式もある。介護の専門学校へ進学する留学生が増えた、なんてことを聞いたことがある。日本社会の動きと留学生個人の選択が連動している。

留学生の率直さに力をもらったことも多い。留学生は一般的に日本人に比べて思ったことをそのまま口にしたり、リアクションが分かりやすい。それが否定的なことだとかなりきついのだが、プラスに働くと大きな喜びになる。

「(ふく子さんの)静かなやさしさに感謝しています」

これは留学生からもらったカードに書いてあった言葉だ。

最近私は「問題が起きると出てくる職員」という役割が多い。成績不良で奨学金停止になったことを伝える、寮の規則を破った学生を指導、なんてことが私の担当だ。

だから最近は「留学生はみんな、私が出てくると警戒するんだろうな」、「嫌なおばさんだと思っているんだろうな」といじけた思いがあった。しかし、「静かなやさしさに感謝しています」という泣きそうな言葉をもらって一気に気持ちが上がった。そして、仕事中いじけ心が出てくると、この言葉を飴玉のように何度も味わって自分を励ましている。

世間話もうまくできないような自分だが、留学生担当、という役割をもらって多くの人とつながることができた。この仕事をしていなかったらどんな人生になっていたのだろう。きっともっと味気ない、視野の狭いものになっていたのではないだろうか。

そして自分の思いを書いたものをこうやって読んでくださる方がいる。

ありがたいことだ。感謝です。


shimakonekoさん、素敵なイラストをありがとうございます。

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