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留学生との25年間3:あなたの夢は?

「あなたの人生の目的は何ですか」と問われたら、皆さんはどう答えるだろうか。

私はこれまで、人生の「意味」をずっと探してきた。「自分は何のために生きているのだろうか」と自らに問いかけてきた。この答えを探すこと自体が人生の目的であるとすら感じるようになっていた。そして、人生の意味や目的は、自分が精神的に成長した先に見つかるのではないかと思っていた。でも、私が接してきたアジアの留学生にとって、人生はもっと単純で明快なものだった。

日本語を教えていたころ、新しい文型練習で留学生の希望や夢を聞くことがあった。例えば、「~たいです」を使って文を作りなさい、と言うと、「お金持ちになりたいです」、「給料が高い仕事がしたいです」、「両親に家を買いたいです」など、「豊かな生活」を夢見る文が次々に出てきた。もちろんアジアの留学生みんなが言うわけではないが、こういう答えはめずらしくなかった。「お金持ちになりたい」と本気でいう留学生に、私はいつも気恥ずかしさや居心地の悪さを感じていた。

また、若いころ、アジアの留学生から「先生、結婚していますか」とよく聞かれた。「していません」と答えると、「先生、さびしいですね」「早く結婚したほうがいいですよ」と返ってくる。新しい学生に会うたびに同じ質問を受け、正直うっとうしかった。「近所のおばさんじゃあるまいし」と内心つっこんでいた。その後結婚して「これで質問が止むだろう」とほくそ笑んでいたら、今度は「先生、子供がいますか」と聞かれるようになった。「いません」と答えると、残念そうな顔をする。「先生、子供いたほうがいいですよ」と親切に教えてくれる学生もいた。離婚して40後半になると、さすがに何も聞かれなくなった。学生たちも空気を読むのだろう。それとも時代が変わったのだろうか。

昔私が担当したアジアの留学生は「家族と一緒に豊かな生活を送ることが人生の幸せ」と考える人がめずらしくなかった。「将来良い人と結婚して、子供を作って、給与の高い仕事をして、豊かになって親孝行する」ために今頑張っている、その幸せを求めて日本へ留学しているという。ある中国の学生は日本に留学するために親戚中のお金を集めて、みんなの期待を背負って日本に来ていた。「幸せ特攻隊員」になって、一族を豊かにするために日本でアルバイトをしながら勉強していた。バングラディッシュの男子学生は「結婚するために日本に来ました」と言っていた。お金がないと結婚できないそうだ。日本語を勉強して、将来日本で働いてお嫁さんをもらう。その時は1週間結婚式をすると言っていた。

それはそれでいいだろう。でも私が望んでいた人生の目的はもっと複雑だった。「人生の成功はお金では測れない」など、どこか「お金」や「豊かさ」を幸せの基準にすることが良くないように感じていた。人生の意味はもっと「高尚」であるべきだという思いがあった。世界平和が目標、というわけではないが、「結婚して豊かな生活をするため」だけに生まれたと思えなかった。この考えはどこから来たのだろうか。大学で学んだのか、メディアの影響なのか、親への反発?おそらくすべてが絡み合っているのだろう。

しかし、年を重ね、もしかしたら人生は単純なのかもしれない、と思うようになってきた。正直、私も「お金持ちになりたい」と思っている。親に家の一軒でも建ててあげられたら嬉しいだろう。子供がいる幸せそうな家族を見ると、それが本来の幸せな生き方ではないかと思うようになった。「人生の意味」なんて、変に難しく考えなくても、「よい家庭を築きたい」「豊かな生活をしたい」それだけでいいのかもしれない。人はおいしいものを食べれば幸せだし、時々旅行に行けたらもっと幸せだ。

「豊かになりたい」、「結婚して幸せになりたい」という気持ちは実は当時から自分の中にあった。しかし、私の中の何かがそれを口にすることを「恥ずかしい」と思わせていたのだ。その何かを私は「教養」だと思っていたが、それは「プライド」や「エゴ」だったのかもしれない。

今私は、「人生の目的は幸せになること」、「自分が幸せだと思えばそれが幸せ」と思っている。「高尚な」幸せでも「単純な」幸せでも、その人が幸せだと思えばそれでいいのだ。そして私にとっての幸せは「おいしいものが食べられる」程度の単純なものでいい、と自分に許せるようになった。

留学生のことを「うるさいおばさんみたいだ」と思っていたが、人生をよくわかっていたのは、彼らのほうだったのかもしれない。

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