見出し画像

留学生との25年間2:初めての学生

初めて教えた学生のことは忘れないと言うが、確かにそうだと思う。私にとっては、本格的に日本語教師になり最初に担当した留学生。特にその中の一人のことがその後の私の「原点」となっている。

25年ほど前、私は地方の大学の非常勤講師として働き始めた。最初に担当したのは来日したばかりの留学生向け日本語クラス。学部進学前の予備教育として日本語を勉強するコースだった。学生は5人。タイ人2人、中国人2人、スリランカ人1人。全員女性だった。私もまだ20代で、大学の授業というより、寺子屋みたいな雰囲気だった。

5人の学生たちは国籍と同じように、日本へ来たいきさつも少しずつ異なっていた。

タイの2人はそれぞれのお母さんが日本人と再婚していた。タイで高校を卒業して呼び寄せられる形で日本に来ていた。おしゃれが好きな明るい学生たちだった。

スリランカの学生はおばさん一家が日本にいた。おばさんは日本で働いていて、彼女は日本語を勉強するかたわら、家事の手伝いをしたり、おばさんの子供の面倒を見ていた。おとなしく、きちんとしつけられた印象の学生だった。

中国の学生2人は他の3人に比べると、より「一般的な」留学生だった。日本に家族はおらず、進学するため一人で異国の地に来ていた。アルバイトをしながら勉強していた。

この5人の学生の集合写真を私はずっと部屋に飾ってきた。独身時代も、結婚してからも、そして離婚した後も、引っ越しのたびにその写真が入った木製の写真立てを荷物に入れ、引っ越し先の部屋に飾った。教室で撮った写真で、みんなピースをしたり、両腕を上げたり、はじけた感じで写っている。

写真を見ると当時のことを思い出す。学生たちの様子、一緒に笑ったこと、日本語教師になって意気込んでいた若い自分。そして中国人学生のAさん。

Aさんは小柄でおとなしい、口数の少ない学生だった。他の学生たちが発言しているのを微笑みながら聞いていた。年齢はみんなより少し上で、落ち着いたお姉さん、という雰囲気。日本語がなかなか上達せず、会話の練習でも黙っていて、声を出させるのが大変だったことを覚えている。おとなしいのは日本語が苦手だったからだと思う。中国語で話すAさんはきっぱりとして、性格の強さを感じさせた。中国に子供がいると聞いたことがある。寡黙だけど芯があり、実直な印象だった。

当時の中国は、今では想像がつかないほど発展途上の国だった。当時私が持っていた中国のイメージは、人民服を来て、大通りを人々が自転車に乗って移動しているというものだった。「爆買い」も「アリババ」も想像もつかなかった。Aさんはアルバイトと授業を繰り返す日々を過ごし、いつも疲れている様子だった。

そんなAさんが、授業で泣いてしまったことがある。「なごり雪」という歌をみんなで勉強したときだ。若い人は知らないかもしれないが、「なごり雪」は1970年代に大ヒットした曲で、故郷に旅立つ恋人と駅で別れる場面を丁寧に描写した歌だ。メロディーが美しくゆったりしていて、歌詞もわかりやすい。初級の留学生でも歌えるだろうと思って選んだ。

歌詞の意味を一つ一つ説明して、みんなでカセットテープに合わせて歌っているとき、ふとみるとAさんが泣いていた。泣いている理由は言わなかったけれど、故郷に残してきた家族を思い出していたのかもしれない。Aさんを思い出すとき、はにかむように微笑んでいた姿と歌を歌って泣いていた姿が浮かんでくる。

そんなAさんが突然授業へ来なくなった。最初は体調でも崩したのかと思っていたが、ぱったりと出席が止まった。同級生もどうしたのか知らないと言っていた。その後、上司の教員から、Aさんは経済的に立ち行かなくなり、おそらく東京で働いているのだろうと聞いた。しばらくしてAさんは除籍になった。

その後、同級生たちは進学し、新しい学生が来日した。Aさんのことをすっかり忘れていたころ、上司からAさんのことを聞いた。東京の警察から大学に連絡があったという。Aさんが何かの事件に巻き込まれて殺されたというのだ。大学で何か知らないか問い合わせがあったそうだが、あいにく誰も何も知らなかった。

大学を除籍になったAさんは不法滞在となった。不法滞在する中で、「仕事を見つけるために変な人とかかわっちゃったのかもしれないな」と上司が言っていた。その話を聞いた夜、私はベッドで彼女のことを思い出し泣いた。

今でも、Aさんのことが心に残っている。彼女は日本に来て何か楽しいこと、幸せだったことはあるのだろうか。バイトと勉強に明け暮れて、観光の一つでもすることができたのだろうか。日本に来なかったらどんな人生になっていたのだろう。今ごろ家族と一緒にいられたのかも。Aさん、助けてあげられなくてごめんね。

留学生が「日本に来てよかった」と思ってほしい、それが私のライフテーマになった。

もちろん、Aさんの不法滞在を認めているわけではない。困ったら何をしてもしょうがないと言うつもりもない。今思えば、Aさんは日本に来るべきではなかったのだと思う。

しかし、外国で言葉も通じず、家族もいない留学生。古い友人もそばにはいない。本当に困ってしまったらどこに相談するのだろう。今はネットが発達して、簡単に母国とも連絡が取れる。しかし、今ここにある現実問題をどうすればいいのか。

経済的なことで留学生を「助ける」ことはできないけど、留学生が独りぼっちで追いつめられる前に、声をかけ、手を差し伸べる存在でありたい。そして、にっちもさっちもいかなくなる前に、本人が希望していなくても、「帰国」や「軌道修正」を促すのも本当のやさしさなのかもしれない。そう考えながら今、留学生担当の仕事をしている。



なごり雪:

https://www.youtube.com/watch?v=eliU3I2nDJA


みちくささん、素敵な写真をありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?