見出し画像

留学生との25年間6:日本語はできないけれど

Noteへの投稿を始めて、いままで出会った留学生のことをあれこれ思い出している。大勢の学生の中で、なぜか自動的に頭に浮かんでくる学生が何人かいる。南アジア出身のBさんもその一人だ。

Bさんは20代の男性だった。小柄でどこか気が弱そうな印象を受けた。来日して間もないころは、「気がついたらよく分からない国にいました」いうような、不安げで、周囲をうかがっている小動物のような様子だった。

一方、彼はちょっと「大人」というか「老けた」というか、「学生」というカテゴリーで表現しにくい雰囲気もあった。「社会人」でも「同僚」でもない。「生活者」というとしっくりするだろうか。おそらく国では一人の社会人として生きていたのだろう。

Bさんは来日して他の学生と一緒に0から日本語の勉強を始めた。そしてそのクラスを私は担当した。

日本で日本語を教える際は、多くの場合、教師は日本語しか使わない。アメリカで英語を勉強するときに、英語で英語を勉強するのと同じだ。これは「直接法」と呼ばれている。日本語がほとんどできない学生にとって、「直接法」の授業はかなりのチャレンジだ。

教師が何を言っているのか、教室で何が起きているのか、今何を求められているのか、最大限の想像力をもって理解する必要がある。「不完全さ」に慣れて、その中で学んでいかなければならない。

特に当時はスマートフォンはなかったので、分からない言葉の意味をスマホで検索、ということはできなかった。言語によっては辞書も見つからない。教師の日本語の説明や絵カードから、新しい単語や表現の意味を理解していくしかなかったのだ。

この「カオス」状態を受け入れてスイスイ進む学生もいるが、そうでない学生もいる。勘が悪い学生や、「理解してから次に進みたい」というタイプだと先に進めなくなってしまうのだ。Bさんは明らかに「進めない」学生だった。

Bさんのクラスを教えていたころ、私は月曜日の授業のはじめに「週末はどうでしたか」、「日曜日に何をしましたか」という質問をよくした。習った表現を使って「プチ会話」をするためだ。クラスの学生は「映画を見ました」「友達と食事しました」などと答えたが、Bさんの答えはいつも

「公園でおじさんと遊びました」

だった。週末晴れても雨が降っても、いつもきまって「公園でおじさんと遊びました」。親戚のおじさんが日本にいると聞いていたので、週末会いにいっているのだろうと推測したが、

(いい大人が「公園でおじさんと遊びました」はないよな)

と思いながらいつも聞いていた。

そんなやりとりをしばらく繰り返した後、そろそろ日本語の勉強も進んだことだし、と思い、注意することにした。「公園を散歩しました」、「公園でピクニックをしました」などはいいが、「遊びました」はやめたほうがいい、と伝え、その理由を説明した。

『「子供が遊びます」はいいです。「大人が遊びます」は少し変です。』。

できるだけBさんにわかるように簡単な文型と単語で説明した。しかしBさんは「???」という顔をしている。ことばを換えながら何度か説明したが、どうしても理解してもらえない。

困った私は禁断の英語を使うことにした。

『「遊びます」は英語のPlayと同じです。子供はPlayします。いいです。大人はしません。』

すると、Bさんの顔が「わかった!」とばかりに笑顔になり、目が輝いた。「良かった!」嬉しくなった私は質問を繰り返した。

「週末何をしましたか?」

「公園でおじさんとプレイしました。」

自信満々にBさんが答えた。

私は天を仰いだ。「なぜ「遊びます」で良しとしなかったんだ!」。結局「プレイしました」がなぜダメだかということも伝えられず、彼を混乱させて終わってしまった。教師としての限界を感じた。

その後もBさんの日本語はなかなか上達しなかった。クラスメートは学期を終えると上のクラスへ進んでいったが、Bさんは合格できず、何度も初級クラスを繰り返していた。いつしか教師の間でBさんは「できない学生」、「手がかかる学生」の代表格になっていた。

ある日、そんなBさんが休み時間に廊下で電話をしていた。アルバイト先と電話で話しているようだ。通りかかった私は「大丈夫だろうか」、「もし必要なら手伝ってあげよう」と思い、少し離れたところで様子を見ていた。するとBさんは、

「はい。」「そうです」「火曜日ですか」「大丈夫です。」「わかりました。6時に行きます。」「失礼します」

初級のはじめに習う表現で見事に日本語で会話をしていた。そしてその口調はしっかりして、丁寧だった。

私たち教師はBさんのことを「中級クラスへ進めない=日本語が身についていない」と思っていたが、彼はアルバイト先の人と会話ができるまで成長していたのだ!

廊下での一件があってから、Bさんを見る目がちょっと変わった。「困った学生」ではなく、「一人の大人」として見るようになったのだ。

話を聞くとBさんは居酒屋でバイトをしていて、調理を担当しているということだった。Bさんは誇らしげに「私は料理が上手です」と言った。「得意な料理は?」と聞くと「豚キムチ」と答えた。Bさんはムスリムだ。豚肉を料理してもいいのかと聞くと、「私は食べません」ときっぱり言った。味見はしないのかと思ったが、外国で自分の希望と現実のバランスを取りながら生活しているんだなと理解した。

留学生に何かを伝えようとしてうまく伝わらなかったり、指示したことができなかったりが繰り返されると、「だめな学生」、「できない人」とその人の人間性や根本的な能力に結びつけて評価してしまうことがある。しかし、できないのは単に日本語力が足りなかったり、日本社会についてよく知らないだけなのかもしれないのだ。

また、「日本語ができない人」=「守ってあげなければいけない人」と思い、必要以上に世話をしたり、心配したりすることもある。

それが「やさしさ」とは限らないこと、日本語力や、外国人として日本にいることの奥に隠れている「その人」を見ることの重要性を、Bさんの一件は気づかせてくれた。

その後、さまざまな「留学生」と接する中で、私は次のように考えるようになった。

留学生と私は対等の人間であり、たまたま今は「学生」と「教師」という役割になっているだけ。それを忘れてはいけない。

もちろん相手が未成年の場合は状況は異なるだろうが、学生を教えたり支援したりする中で、「人」対「人」という視点を持つことを忘れないよう自分に言い聞かせるようになった。

私はBさんに「教えよう」としていたが、実は自分がBさんから学んでいたのだ。


amihijikataさん、素敵な写真をありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?