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関係性を醸(かも)し、いかしあうための「場」をつくる 〜居心地のよさはときに麻薬になる〜

現在、「場づくり」というテーマでの出版に向けて、いろいろと動いています。今年中には、と思っていましたが、どうなるか。少し後ろ倒しになってしまいそうな気もしていますが、素敵な本をつくるために引き続き頑張ろうと思います。

今回は、執筆している本に関係しているテーマのことを書いていこうと思っています。とあるメディアでの連載も決まっているので、いろいろと自分の中の引き出しを整理するためにも書いていければと。

この一年、学生メンバーが当方の活動にいろいろと参画してくれています。今回の記事は、学生向けに開催した「第一回・場づくり勉強会」をベースにまとめたものです。ですので、入門編みたいな感じになっているかな。

では、はじめます。


◯そもそも「場」とはなにか
最近よく聞かれるようになった「場づくり」という言葉。でも、「場」ってそもそもなんなんでしょうか。少し調べてみると…

関係性や相互作用のあるもの。2つ以上のものが相互的に関係していること。などと出てきます。

「場」に関連する言葉を英語で言うと…

①SPACE 空間 ハード 建物・敷地・広場
②PLACE 場  ソフト 心理的・感覚的・居場所

となるでしょうか。

個人的に、空間と「場」は峻別しないといけないと思っているので、以上のように分けています。ですが、個人によって「場」の意味でプレイスという言葉を使っていたり、またその逆もあったりするので、なにを意味して使っているんだろう、ということは詳しく見ていく必要があると思います。

上で相互の関係が必要と言いましたが、「場」においては常にコミュニケーションをする必要はないと思っています。ただ、お互いがお互いを認知している必要はあります。後述しますが、「場」を考えるときに「関係性」の如何がその質や価値を決めるとぼくは思っています。

お店でも、イベント(ワークショップ)でも、会議でも、プロジェクトでも、家族(カップル)でも。地域づくりに関わる人だけではなくて、すべての人がなんらかの「場」に関わって生きていると思います。


◯「場」じゃないものとは?
一方で、「場」のように見えて、実のところそうではないことがたくさんあります。例えば…

・答えを知っている者が知らない者に教える
・一方的なスピーチや講演会

などです。

前者は答えを知らない者からすると変化はあるわけですが、答えを知っている者からするとそうではないのです。ある種「恣意的な変化をさせられること」がそこにあるだけで、それは相互的なコミュニケーションとは言えないとぼくは思っています。

ぼく自身、講演会に呼んでいただく機会もそれなりにあるのですが、スピーチや「講演」に正直そこまで価値を感じていない自分がいます。それはなぜかと言うと、自分自身の変化がほぼない、あるいはあっても大変少ないからです。なぜなら、講演は基本的に準備したものを話すだけであって、その中でなにか新しい発見や視点を得ることは難しいからです。

対話や自分の話題提供をもとに話を組み立てたり、展開していったりすることは難しいことです。それは常に、自分の想定しなかった質問や問いかけがそこに出てくる可能性があるからであり、そこにどう向き合うかが試されるからです。でも、それが面白くて、価値があると思って、できるだけ相互的なコミュニケーションをとる時間を長くするよう、講演会のときなども意識をしていますし、事前の打ち合わせでも担当者の方とすり合わせをします。

そのように「双方が揺らぐ可能性があること」が「場づくり」をする際に重要な基本的スタンスであるとぼくは考えています。この余白が少なければ少ないほど、「場」というものから遠ざかっていくのではないか。そう思っています。


◯場はつくることが可能か?
今度は「場」から「つくる」という言葉に目線を移してみましょう。

以上のことを踏まえると、一方的に「場」をつくるということはそもそも不可能のように思われます。なぜなら「場」というものは双方の関係性によってできているものなので、自分で恣意的につくるものは「場」とは呼べないからです。全て思い通りにつくることができるというのは、自分の思い込みやイメージを押しつけているだけかもしれません。

でも、それでもぼくは「場づくり」という言葉を使っています。適当な表現がまだないんですね。しっくりくる言葉があれば乗り換えたいと思っています。

もしかすると「整える」とか、「しつらえる」とか、「醸す」と言った方がしっくりくるかもしれません。だけど、まだまだ慣れない感じがするなあ、と。


◯「場づくり」のポイントあれこれ
具体的な事例の紹介はここでは省きますが、ポイントを以下に列挙します。「これは使えそうだ!」というものがあれば、どうぞご自由に。

・余白を必ず残す/余白のデザイン
参加者や関係者が常に自分の表現ができるような余白/余地を残しておく。あるいはデザインする。そのことによって主体的に「場」に関わってもらえる可能性が高まる。関わりの深さは愛着の深さでもある。

・参加者に委ねる/運営との垣根をなくす
プログラムありきでなくてもよい。関わる人とともになにかが立ち上がればそれでいいし、そうでなくてもいい。そのような柔らかいスタンスの中でこそ、面白いなにかが立ち上がっていく。また、参加者と運営者の垣根をあいまいにしていくことで、ともにつくる空気感を醸成することができる。

・一番大事なのは信頼する
その人の中にある主体性や可能性をどれだけ信じられるかが重要。どんな返答が返ってきても答える・反応するよという安心感をどれだけ出すことができるか。一方的に喋り続けることは、相手を信頼していない証明(自分中心で進めていきたいという表明)。そうした相手に関わりたいと思うこともないのではと思っています。
 
・初めて来る人をどれだけ大事にするか
常連の方も重要ですが、初めて来る方がより重要だとぼくは考えています。その人はとっても勇気を持って来てくださっているかもしれません。そんな中、身内感・内輪感が漂っていると最悪ですね。望ましいのは常連の方がコーディネーターとなって新しい方を案内してくれることだと思います。

・自分がつくりたい「場」なのか見極める
もちろん、誰かのための場であってもいいと思います。しかし、自分が関わる意味や目的はある程度はっきりしていることが望ましいと思います。自分なりの意味を紡ぎだすことが重要です。

・俯瞰して眺める(全体の温度感を見る)
「場」にどんな人がどんな思いで来ているか俯瞰して見てみることは重要です。交流のある場だと「本当はこの会話から離れたいのではないか」とかはよく見ますね。全体を見ようとする気持ち、引いた眼差しと深めていく眼差しの両方が大切です。

・しっかり聞く/きちんと話す
よく聞かずに失敗したこともありますし、きちんと伝えずに失敗したこともあります。とっても基本的なことではありますが、その点を大切にしながら関係性を醸すことができるとよいと思います。


◯居心地のいい「場」は麻薬になる
最後にネガティブなことを一点、共有しておきます。それは、居心地や心地よさが大事だと思われている「場」ですが、心地よさと排他性は表裏一体です。その認識を忘れてはいけません。「場」では「排除」が起こり「腐敗」が進む可能性が常にあります。

そうならないために、なにができるのか。いくつか方法があります。

・常に新しさを入れていく。かき混ぜる。
・同じ人であっても常に新しい面を見られるようにする。
・「場」に来ている人に新しい「場」をつなげる。別の「場」をレファレンスする。

「場」の運営は大変センシティブなものです。失敗するということは、その人との、その人たちとの関係性が悪化するということでもあります。

イベントやワークショップ、地域活動をしている人だけにこの「場づくり」のスキルや思想が必要なわけではないと思っています。「場づくり」の考え方は、日常をより楽しく生きていくための方法論でもあると思います。

またぜひ、みなさんと一緒にいろいろと考えられるタイミングがあるとうれしいです。

最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。更新の頻度は不定期ですが、フォローなどいただけると大変うれしいです。