#最近の学び
ゴールのない芸術作品を目指して
藤森愛として活動14年目を迎えた(昨年は間違えて12年目と言ってたみたい)。今でもこうして藤森愛という看板を出して活動できているのは、たくさんの支えがあるからなのだと年月を重ねるごとに強く、深く感じる。
芸術ごとを続けていくのは難しい。なんでもそうだろうけれど、特に芸術は生きていくために必要なものとしての優先順位は圧倒的に低い。生きていくためには絶対に必要だ!という人もいるかもしれないけれど、芸
現実から解き放たれたフォルムと色彩
ポーラ美術館で初めてアンリ・マティスの「リュート」を見た時、正直その良さは分からなかった。パースを無視したダイナミックな線と、大胆に置かれた強烈な色彩に、私は戸惑いさえも覚えた。なんて自由すぎるのかと。自由すぎて脳が追いつかない。でも決して複雑なことはしておらず、むしろ簡略化されたその絵になぜか心が引っ張られる。美術館を見終わったあと、気になって調べたくらいだ。だけど当時の私は、その絵に引っ張られ
もっとみる近づくことのできない自然へ近づこうとするもの
少し近所から離れた場所でのインプットをしたいと思い、熱海にあるMOA美術館へ行くことにした。まさか旅行で来ていた熱海がこんなにも近場になるとは思いもせず、旅行客と共に久しぶりに降り立った熱海駅はなんだか新鮮。観光に来たわけではないため、マクドナルドでちゃちゃっと昼食を済ませ、バスへと飛び乗る。山のふもとにある美術館を目指して、傾斜45度以上はありそうな坂道をぐんぐんと登っていく。駅から近そうだった
もっとみるマイペースの中で生きてゆくこと
かれこれ半月以上、腱鞘炎で右手が使えない生活を送り、ついに左手で箸を使うのが上手になってきた。人間の環境適応能力はすごい。
右手が使えなくなった時、自分でも驚くほどすんなりと休む決断をした。それは、以前までの私にはなかった選択肢。フリーランスは自分が止まれば、全てが止まってしまう。止まることで計画が遅れるのが嫌で、得体の知れない焦りに襲われる。今思えば、一体何から遅れていて、何に焦っていたんだろ
あるべき場所へと還りゆく心
東京へ来る度に、美術館へ行きたいと思うようになった。歴史的な作品や、第一線で活躍する芸術家たちの作品が集まっている場所としては、やっぱり東京が一番だと思う。伊東という自分的にベストな制作環境と、東京というたくさんのアートに触れられる環境が、電車で約2時間ほどの距離感であるのはとてもほどよいと感じている。
いつしか美術館は私にとって、心を整える場所になった。サウナで整えるような感じだろうか(サウナ
寂しさは認知している世界の狭さから
ずっと漠然とした寂しさを感じていた。一人は好き。でもいつも心の片隅に寂しいが膝を抱えて座っている。その寂しさの正体が分からず誰かに会ってみたり、どこかへ行ってみたり、何かをやってみたりしたけれど埋まらない。ライブハウスへ行けば音楽仲間がいて、会場にはたくさんのお客さんがいて、お茶をしに行く友達もいて、実家へ帰れば家族もいる。これのどこが寂しいのだろうか。その得体の知れない寂しさがどこから来ているの
もっとみる日常生活をデザインしていく
朝起きて、コーヒーを淹れる。昨晩から乾かしておいた皿をしまって、キッチンをデフォルトに戻す。リビングでコーヒーを飲みながら文章を書いて、観葉植物の世話をする。洗濯をしたら、午前中いっぱいは作業をして、お昼ご飯を作って食べる。私の朝のルーティーンはこんな感じだ。この間に手に触れる物、目に入る物はたくさんある。コーヒーを淹れる時はマグカップやドリッパー、キッチンでは料理に使う道具や盛り付けるための皿、
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