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寂しさは認知している世界の狭さから

ずっと漠然とした寂しさを感じていた。一人は好き。でもいつも心の片隅に寂しいが膝を抱えて座っている。その寂しさの正体が分からず誰かに会ってみたり、どこかへ行ってみたり、何かをやってみたりしたけれど埋まらない。ライブハウスへ行けば音楽仲間がいて、会場にはたくさんのお客さんがいて、お茶をしに行く友達もいて、実家へ帰れば家族もいる。これのどこが寂しいのだろうか。その得体の知れない寂しさがどこから来ているのかは、つい最近までは分からないままだった。それが一体何なのかが分かったのは、この街へ来てからだった。

この街で最初に友達になったのは海だった。こうやって書くとめちゃめちゃ寂しそうな人に見えるな(笑)私は毎日友達へ会いに行くように、海へ会いに行った。もちろん友達みたいにガールズトークはできないし、向こうから会いに来てはくれない。だけどこの一方的な感じがなんだか心地いい。それから山や空、鳥や猫や虫など、人間ではないものたちが次々と目に入るようになり、それらは初めて私の世界として認知されるようになっていった。そう、"私の世界として"だ。それらは当然この世界に存在し続けていたはずなのに、なぜか大人になって社会への価値観が大きくなるに連れてだんだんと見えなくなっていく。私はいつの間にか、この世界には自分と関わりのある人間だけが存在していて、そういった人間しかカウントできなくなっていたのだと理解した瞬間に、認知できる対象物が一気に広がり、寂しさは自然と消えていった。

人間は一個体だけではあまりにも弱く、群れることで生き延びてきたため、人間社会から自分がどう思われているのかを気にしてしまうのは仕方がないだろう。でもあまりにも気にしすぎてしまうと、アイデンティティを保つ要素が自分と友達になってくれる人や、自分を認めてくれる人のようにカテゴリーが限られてしまい、一人ではないのに寂しいと感じてしまうのかもしれない。実際に私は、自らのアイデンティティを保つ要素の一つとして海がある。認知している世界の中で、自分と関わりのある人間以外の存在が多ければ多いほど、不必要なほどに欲してしまう社会からの承認欲求は減るように感じている。


以前までは繋がりのない人間にさほど興味がなかった。お店の店員さんや、道を尋ねてきた通りすがりの人など、一瞬だけ関わり合う人たちのことなんて気にも止めていなかった。毎分やって来る電車のように、ただ通り過ぎていくだけ。だけど私の世界として認知できるものが増えてからは、そういった一瞬だけ関わり合う人たちのことがどうしようもなく愛おしく感じるようになっていた。

川奈にあるカフェ「赤いやね」へ行った時、周囲の席もお客さんで埋まっていた。それから大室山へ行き、途中で寄り道もしながら伊豆稲取まで車を走らせ、漁港直売所でお土産を見ていると、さっき赤いやねにいたよね?と突然声をかけられた。川奈と伊豆稲取は約30km離れているにも関わらず、どうやら近くの席に座っていたお客さんも同じ場所へやって来ていたのだ。その時、私がみかんを見ていたものだから満面の笑みを浮かべて、ハウスみかんは甘くて美味しいよと教えてくれた。これはサイズが小さいからこっちの方がいいと言われて、そんなにオススメするならと思い買ってみたところ、想像以上に甘くてびっくり。

これは、この偶然の再会自体にどんな意味があるのかではなく、私がどう認識しているかどうかの話で、知らない観光客に話しかけられて面倒くさいと感じるのか、わざわざ話しかけてくれてみかんのことまで教えくれたと感じるのかの違いがある。私は知らない人にやたら話しかけられるようになったけれど、それは今まで全く気にしていなかっただけで起きてはいたことなのか、雰囲気的に話しかけやすくなったのか、はたまたその両方なのかは分からない。どちらにせよ私は、偶然再会したこの人たちを友達と同じくらいのサイズ感で存在を認知している。もう二度と会わないからどうでもいいと通り過ぎてしまうような単なる現象ではなく、一人間としての重要な関わり合いとしてカウントしているのだ。だからいつどこで何をしていても友達と会っているような感覚に覆われていて、一人でいても寂しさを感じなくなったのだと思っている。

10人集めても、100人集めても、1000人集めても、自分が認知できる世界が狭いままでは何をしたって寂しい。だって寂しさの原因はそこにはないから。私は明日誰にも会えなくても、おそらく寂しいとは思わない。何も語りかけてこない海を見たり、愛想を振りまかない猫に喋りかけたり、トタンの錆をどう絵に描こうか考えたりするだけで満たされる。だから誰かに話しかけてもらえたり、風景画展まで足を運んでくれることは、まるで映画の1シーンのようにドラマチックとさえ感じる。自分と強い繋がりを持つものだけを数えていては、そりゃあ常に構ってくれたり、気にしてくれたりはしないから寂しくもなる。繋がりが弱いものや一瞬しか繋がれないもの、関係ないと思っているものほど実は、生きやすさの糧になると日々感じている。

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