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日常生活をデザインしていく

朝起きて、コーヒーを淹れる。昨晩から乾かしておいた皿をしまって、キッチンをデフォルトに戻す。リビングでコーヒーを飲みながら文章を書いて、観葉植物の世話をする。洗濯をしたら、午前中いっぱいは作業をして、お昼ご飯を作って食べる。私の朝のルーティーンはこんな感じだ。この間に手に触れる物、目に入る物はたくさんある。コーヒーを淹れる時はマグカップやドリッパー、キッチンでは料理に使う道具や盛り付けるための皿、食べる時はダイニングテーブルに置いてイスに座る。この中に居心地の悪いものや、違和感のあるものはない。全部を作品だと思って選び、全体のバランスを考えながらデザインしている。

私はいつからか作品を作り続ける人になりたいと思っていた。活動10周年記念の個展で60mの壁を埋めるための作品作りと、40曲レコーディングした時にどこかの扉を開いてしまったようだ。作ることにとても生きがいと喜びを感じていた。ではどうやったら作り続けていられるかを考えた時に、その時自分がいた環境は違うと思った。防音マンションで常に制作できる環境は整っていたけれど、部屋は暗くて狭いし、窓の向かいはマンションだし、街へ出かけても特に興味をそそるものはない。私の恩師がよく言っていた「ないもんは出ない」がまさにそうで、アウトプットしたくてもそもそものインプット量が少なすぎて、何も出てこなかった。面白いものを作る人は生き方も面白いし、丁寧に物作りする人は日頃からの物の扱いも丁寧。恋愛ソングを歌っている人は恋に生きているし、頑張っている人は応援ソングが多くなる。その人の成り立ちは、全て日常の生活からできている。

どんな作品も作り手の生活に密接にリンクしているのだと気がついた時、私は日常生活そのものをデザインしてみたくなった。部屋を整理整頓したり、食事に気を遣って健康管理したりとかはやっていたけれど、それは制作しやすくするためやライブ本番のためにやっていたことで、デザインしている感覚ではない。全ては作品と本番のための生活だ。だからそうではなく、生活も作品であり、本番だと思うことにした。でも気合いを入れたりはしない。自分がカッコいいと思う物を選ぶようにしたり、心地良いと感じる場所へ行くようにするイメージだ。そうやってどんどん日常生活をデザイン化させていくと、生活そのものはクリエイティブなことしかないと気がついた。人前で演奏したり、絵を描くことだけがクリエイティブではない。コーヒーを美味しく淹れようとしたり、洗濯物をシワなく綺麗に干そうとしたり、ご飯を作って彩りよく盛り付けようとしたりするのも創作だ。なんなら全員が、「人生」という壮大な長期プロジェクトをデザインしている。だから私は最近、ギターを弾いていなくても、絵を描いていなくても、一日中制作し続けている感覚がある。以前までは何か大きな出来事がなければ感化されず、何も生み出せなかったけれど、今は日常生活の中で小さなインプットとアウトプットが繰り返されて循環していき、作品へと繋がっていく。私は作り続ける人になっていた。

1億人総クリエイター時代と言われて久しいけれど、どこか創作は自分にはできない特別なことで、神格化させているところがある。創作はもっともっと身近にあって、生活の中で当たり前になっていて、誰にでもできる普通のこと。クリエイターはなるものではなく、自分もクリエイターなのだと気がつくものなのかもしれない。

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