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完成しているというメッセージ

ステージは自信がなければ立てない。自信がないステージなんて誰も見たくないだろう。ミスがあった時は、ステージから降りた瞬間に自己嫌悪に苛まれる。だから自分に自信を持つこと、自己評価を持つことでステージに立つメンタルを鍛えていく。私はセルフプロデュースで活動をしているから、プロデューサーもマネージャーも自分一人で兼任している。それは良くも悪くも自分で自分を評価する癖になっていて、ダメだと思っているところも、いいなと思っているところも人一倍強い。絶対に譲りたくないこだわりもあった。セルフプロデュースをしているとそれらはどんどん強く、固くなっていきやすいと思う。私はそれこそがアーティストだと信じて疑わなかった。自信がない、こだわりがないアーティストなんてアーティストらしくないと。

それに対して違和感を感じ始めたのは、25歳ぐらいの時だったろうか。評価されたいことと、実際に評価されていることのズレを感じていた。自信を持ってやっていることよりも、自信がないことばかりを褒められる。その時は評価されていることよりも、評価されていないことばかりを気にして、自分のこだわりを曲げることもなかった。やっぱり一番頑張っていることを褒めてもらいたいし、自分が認めてあげなかったら頑張ってきた自分が浮かばれない。そうやってますます固く強くなっていった私のこだわりは、柔軟性を失っていたと思う。

海の街へ引っ越してから、私の生活スタイルはガラリと変わった。都会のような便利な暮らしはできない。街に合わせて、自然に合わせて自分を変えるしかない。どんなに頑張ってもバスの本数は増えないし、海風は弱まらないし、動物たちは予想外の場所から出没する。そうした中で生活していると、いかにその中へ溶け込んで暮らしていくかの方が重要で、自分のこだわりなんてどうでもよくなる。どうでもよくなったからこそ、今なら新しい作品が作れる気がした。この街へ来てから絵を1枚描き上げた時は、もう完成してしまっていると感じて、それはアーティスト人生初めての感覚だった。今まで頑なに信じてこだわってきたことが、自分の方が変わる柔軟性を手に入れたことによって「完成」という、つまり「次へ行け」というメッセージとして伝わって来ていたのだ。そして私は頭の中のイメージではなく、現実世界である風景画を描き始めた。

最初は当然上手く描けなかった。そもそもどう描けばいいのか全く分からないし、自分のスタイルみたいなものが確立するのはずっと先だろうから、それまで隠しておこうなんて思っていた。でも私は、坂口恭平さんの「素人が自信を持っているものほどつまらない」という言葉を思い出して、こだわりもない、スタイルもない作品を恥ずかしながらも、思い切って公に見せていくことにした。

予想外にたくさんのリアクションが返って来た。私は驚きながらも、ずっと感じていた違和感への正体に確信を持った。その正体は、探究をやめてしまった完成しているものだった。作品とは、何かを感じ取って伝達したいものを自分なりの形に表現しているもので、上手く伝達できている時ほどその解像度は高くなり、この世によくあるつまらないものになる。だから確固たる自信を持てている時、そこにあるのは探究心ではなく、完成品なのではないかと。驚きと発見がなければ新しい作品は生まれず、マンネリ化していく。長く素晴らしい作品を作り続けている人からは、まるで初めて感じ取っているかのような真新しい気持ちや、その正体を掴もうとしている探究心を感じる。そうでなければ飽きてしまうから、何十年も歌い続けられないし、何万枚も絵を描けない。必要なのは自信ではなく、未完成であり続けることだと思った。こうして文章を毎日書いていても、上手く伝達できていないと思う記事ほど読まれる傾向がある。それはまとめ上げられている文章ではなく、探究している文章だからなのだろう。自己評価なんて全くあてにならない。持つべきものはきっと、感じ取ってしまった得体の知れない何かを伝達するための柔軟性と、子供のように知ろうとする探究心だ。

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