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ネコ美的自分を変える方法
自分自身が痛みでしか行動を変えない人間なので人に何かして欲しい時も痛みを与えないとと思っている節がある。
なので、おそらく間違っているであろう道を進んでいる人に注意などせず、なんならその道のどん詰まりに早く行けるよう応援し、結果大きな怪我をおって二度とそれをしなくなるという所まで見届けてホッと安心するのである。
もしかしたらワイの行動はとても人でなしのように他者からは見えているかもしれないが、
🧠労働と報酬についてネコ美の考え方
これを考えるきっかけとなったのは以前のバイト先で同期が時給の値上げをボスに掛け合って憎々しく思われた挙句解雇に近い自主退職を促されたという事件があったからである。
そもそもボスと同期が仲が悪かったのかと言えばけしてそのような事はなく、傍から見れば雇用主と労働者の垣根を越えて軽口を叩くような間柄であった。
そのため今回の賃上げ交渉も快く受けてくれるものだと思っていた分、その事件を聞いた時ワイは少し
それは音もなく忍び寄ってきた
久しぶりにnoteを更新しようと思った。
特に理由もトピックもないのだが闇雲に書き始めてみる。走り始めがいつだって苦しいのだから。
どのくらい久しぶりかというと伝説の90日チャレンジ以降なのでかれこれ2ヶ月以上。
さすがに放置しすぎじゃないか、そもそも件のチャレンジを終えた際、これからは投稿頻度が週1、2回に減りますとかなんとか宣言してなかったか。
とまぁ、やらなかったことを今更咎めても仕様が
🧠丁寧な暮らしに憧れるズボラなワイ
そもそもワイの目指す丁寧な暮らしとはなんなのか?そして今現在ワイは丁寧な暮らしから程遠い所に本当にいるのだろうか?
そんな疑問から端を発したわけだが、まずワイが良く見ているYouTube動画から察するに丁寧な暮らしとは偏に物があまり溢れていないのが大前提である。
丁寧な或いは丁寧そうに見える暮らしをしてる人の家は整然としている。その上統一感のある色で四方を囲んでいるのである。
その点ワイの家は
🧠異国の地で日本人に助けられた話
日本つまんね、何しててもおもんくない(鬱)
そうだ!ワーホリに行こう(嬉)
と言っても金ないなー(悲)
とりま水商売で荒稼ぎや(頑)
結局10万しか貯められなかったけどオーストラリア行こっと(楽)
ケアンズ何もないなーやっぱオーストラリアと言えばファームジョブや!(嬉)
アサートン到着(楽)←イマココ
はじまりはじまり~
とりあえずケアンズを離れてアサートンまでやって来たは良いが、どこに農場が
脳汁読者様へネコ美からのお知らせ
いつもご愛読ありがとうございます!
どこにも告知せず勝手に始めたnote90日毎日投稿チャレンジがお陰様で無事終了したので、これからは週2くらいに頻度下がります、悪しからずm(_ _)m
代わりと言っちゃなんですが5月の文フリ作品に本格的に着手するんで引き続き応援よろしくです┗(^∀^)┛
ネコ美
🧠30分でクビになったバイトの話
ワーホリで単身オーストラリアへやってきたネコ美。
10万円を切った軍資金。
英語初心者。
困った時のファームジョブ。
そうだ!農場へ行こう!
はじまりはじまり
親切なドイツ人に見送られケアンズからバスで2時間。バナナ農園で有名なタリーという田舎町に着いた。
今日からワイはここで必死に働いて金を貯めるんや!そう意気込んでバスのステップを降りる。
ケアンズものんびりした雰囲気が漂う町だったがそ
🧠オーストラリアでバイトを探す旅に出た話
20代半ば10万円ぽっきりを握りしめて単身オーストラリアに飛び立った。
働かざる者食うべからず、というか今のままだと帰りの航空券も買えない。早速バイト探しだ。
はじまりはじまり
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3日分の下着、CDプレーヤーとCD複数枚、クラリネット、日本で握ってきた梅おにぎり12個を当時流行っていたジャンスポのリュックに入れ、まるで下北沢にでも行くような超軽装でワーホリにやっ
🧠オーストラリアで居候してた話
紆余曲折あって知らないおじさんちに1ヶ月居候した話をしようと思う。
時は2010年にまで遡る。
20代半ばの働き盛りにワイはワーキングホリデーでオーストラリアにいた。
計画性?なにそれ美味いの?状態のアホなワイは日本で十分なお金を貯められず手元にはなけなしの10万が握りしめられていた。オーストラリアの地を踏んだ時には99880円にまで所持金が減っていた。空港でジュースを買ったのだ。
そんな状況
🧠ナンバー1ラウンジ嬢とワイの仁義なき戦い
昔ラウンジで働いていたことがある。ラウンジとはスナックとキャバクラの間みたいなもんで俗に言う水商売だ。
これはそんなラウンジで出会った女の子の話。
はじまりはじまり
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若い頃、旅資金を貯めるために度々水商売をしていた。最近は水商売1本でやってく女の子はそう多くないらしい。例に漏れずこのラウンジでもワイも含めほとんどの女の子が昼職もしていた。
その中にワイと同業
🧠お遍路旅前の準備と心持ちについて
あれはたしか上京して1年が経とうとしていた頃だったと思う。
ふと思い立って一人旅を決行した。
なんでそんな事したのかと言うとまぁつまり平たく言えば「行き詰まっていたから」という一言に尽きる。
初めての東京生活は凄く刺激的だったけれど心の安寧はもたらさなかった。人が多いということは比較対象が多いということだ。隣の芝はそれはもう青々と素敵に輝いており何をしていても自分はこのままで良いのかという焦りと