広告はいつだって嫌われる
2024年4月17日(水)朝の6:00になりました。
自由とは、他者から嫌われることである。
どうも、高倉大希です。
広告は邪魔者だから、誰も見てくれない。
相手への敬意がないと、聞いてすらもらえない。
先日、とあるコピーライターの方からこんな話を聞きました。
嫌われていることを前提に、広告づくりは始まるそうです。
たしかにわたしたちは、広告を嫌います。
広告がないことを強みにしたサービスも、最近は増えたような気がします。
数年前まで、公立小学校の学級担任を務めていました。
学校の先生の業務には、広告づくりがありません。
なぜなら、わざわざ広報活動をしなくても子どもたちはやってくるからです。
べつに子どもの数が少なくても、特に問題ではありません。
目標があるわけでもなければ、ノルマがあるわけでもありません。
何ならむしろ、人数は少ない方がありがたいくらいです。
一般企業に転職して、広告の難しさを知りました。
来てくれることが当たり前ではないという事実を、見事に痛感させられました。
つくり出しているものには、間違いなく大きな価値があるはずです。
しかし、実際に人が集まってくれるかどうかはまた別の話です。
価値の訴求には、一定の時間を要します。
広告を急ぎすぎたせいで、ただ嫌われて終わるということも案外よくある話です。
まずは、目の前にいる人たちに確実に価値を届けることが最優先事項です。
そこから生まれた口コミが、ここにはいない誰かへと繋がっていきます。
その人が必要としたときに、どれだけ近くに情報があるのか。
これが、広告の目指すひとつの形なのだろうなと思います。
どれだけよいものだったとしても、押し付けは嫌われます。
結果が出るまでの時間差を加味して、打ち手を検討しなければなりません。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。