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広告はいつだって嫌われる


2024年4月17日(水)朝の6:00になりました。

自由とは、他者から嫌われることである。

どうも、高倉大希です。




広告は邪魔者だから、誰も見てくれない。

相手への敬意がないと、聞いてすらもらえない。


先日、とあるコピーライターの方からこんな話を聞きました。

嫌われていることを前提に、広告づくりは始まるそうです。


たしかにわたしたちは、広告を嫌います。

広告がないことを強みにしたサービスも、最近は増えたような気がします。


世間で評価されるコピーライターのなかには「うまいこと」を言おうとしている人も多い。でもぼくは、ことばの技術におぼれることだけはしないでおこうと決めていました。

糸井重里、古賀史健(2018)「古賀史健がまとめた糸井重里のこと」ほぼ日


数年前まで、公立小学校の学級担任を務めていました。

学校の先生の業務には、広告づくりがありません。


なぜなら、わざわざ広報活動をしなくても子どもたちはやってくるからです。

べつに子どもの数が少なくても、特に問題ではありません。


目標があるわけでもなければ、ノルマがあるわけでもありません。

何ならむしろ、人数は少ない方がありがたいくらいです。


中学生に人気のあるテレビ番組だって視聴率が五〇%を超えることはほとんどありません。それに比べたら、勉強があまり好きでない人も含めて、ほぼ全部の中学生が毎日、同じように勉強をしていることが、どれだけすごいことか。「学校」というしくみなしには、このようなことは、たいてい実現不可能です。

刈谷剛彦(2005)「学校って何だろう」筑摩書房


一般企業に転職して、広告の難しさを知りました。

来てくれることが当たり前ではないという事実を、見事に痛感させられました。


つくり出しているものには、間違いなく大きな価値があるはずです。

しかし、実際に人が集まってくれるかどうかはまた別の話です。


価値の訴求には、一定の時間を要します。

広告を急ぎすぎたせいで、ただ嫌われて終わるということも案外よくある話です。


学校のプロジェクト型学習や探求学習でもうまくいかないとき、このプロセスが圧倒的に足りていないケースが非常に多いものである。プロジェクト期間を短く設定しすぎて、適当な調べ学習で終わらせてしまうのだ。そうなると、本質的な問いも、中核概念もないまま、何となく進んでしまって、「何かやりました」だけになってしまう。

藤原さと(2023)「協働する探求のデザイン」平凡社


まずは、目の前にいる人たちに確実に価値を届けることが最優先事項です。

そこから生まれた口コミが、ここにはいない誰かへと繋がっていきます。


その人が必要としたときに、どれだけ近くに情報があるのか。

これが、広告の目指すひとつの形なのだろうなと思います。


どれだけよいものだったとしても、押し付けは嫌われます。

結果が出るまでの時間差を加味して、打ち手を検討しなければなりません。






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