真剣に話しているからといって、真剣に聞いてくれるとは限らない
2024年4月2日(火)朝の6:00になりました。
真剣に考えるべきことを学んだら、残りは笑い飛ばせばいい。
どうも、高倉大希です。
真剣に話しているのに、どうして聞いてくれないの?
小学校で学級担任を務めていたころ、こう思うことがよくありました。
子どもたちは、とても正直です。
こいつの話は聞くに値するのかを、よく見て判断しています。
真剣に話しているのだから、真剣に聞いてほしい。
これは話し手の願いであって、聞き手からすれば知ったこっちゃありません。
SNS上でも、このような場面をよく見かけます。
議論を持ちかけたはいいものの、綺麗にかわされてしまった人がこう言います。
「あいつは議論から逃げやがった」
「意見を言っただけでブロックされた」
議論を持ちかけたのだから、議論に乗っかってきてほしい。
これは話し手の願いであって、聞き手からすれば知ったこっちゃありません。
その点、文章ではあまりこのようなことが起こりません。
なぜなら、読んでいる人の姿が書き手からは見えないからです。
もちろん、真剣に読んでくれている人もいるのかもしれません。
一方で、鼻をほじりながら読んでいる人がいても何もおかしくはありません。
どう読むのかは、読む人の自由です。
書き手が真剣かどうかなんて、読み手からすれば知ったこっちゃありません。
「この文章は正座して読め」と言うのは、あまりにも無茶な話です。
仮に言ったところで、本当に正座しているのかは確かめようがありません。
真剣に話しているのだから、真剣に聞いてほしい。
議論を持ちかけたのだから、議論に乗っかってきてほしい。
言っていることは、「この文章は正座して読め」とほぼ同じです。
相手からすれば、知ったこっちゃありません。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。