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無責任でいられるからこそ、優しい言葉を投げかけられる


2023年10月7日(土)朝の6:00になりました。

みんなちがって、どうでもいい。

どうも、高倉大希です。




優しい言葉は、嘘くさい。

なんだか表面的で、怪しく思えてしまいます。


「大丈夫ですか?」とか、「無理をしないでくださいね!」とか。

このような言葉は、なかなか好きになれません。


本当はべつに、どうだっていいのです。

その人の体調がすこしくらい悪かろうが、知ったこっちゃありません。


社会的ジレンマというのは、お互いに協力し合えばみなが利益を得ることができるのに、それぞれの人間が自分の利益だけを考えて行動すると、誰もが不利益をこうむってしまう状況のことです。

山岸俊男(1999)「安心社会から信頼社会へ」中央公論新社


それにも関わらず、まるで心の底から心配しているようなテンションで「大丈夫ですか?」と声をかける人がいます。

きっとそんな人はここまでの文章を読んで、「いや、本当に心配なんだって!」と怒ることでしょう。

嫌味でもなんでもなく、その人は紛れもない「いい人」なのだと思います。


べつに穿った見方をして、人の良心を否定したいわけではありません。

この note で書こうとしているのは、「これらの良心は責任をとらなくても済むからこそ発揮されるものである」という話です。


わかりあえないというところから歩きだそう。湿潤で美しい島国で育った私たちには、それを受け入れることはつらく寂しいことかもしれない。「柿くへば」を説明することは、とても虚しいことかもしれない。しかし、おそらく、そこから出発する以外に、私たちの進む道はない。

平田オリザ(2012)「わかりあえないことから」講談社


もし「無理をしないでくださいね!」という言葉に責任が発生するとしたら、おそらく気軽に言うことはできなくなります。

本当にこの言葉を鵜呑みにして、相手が無理をしなくなって、ついには職を失ってしまうようなことになったら、あなたには責任がとれないからです。


もちろんこれは極端な例です。

どの程度の無理をするかは、当人が判断します。

「多少しんどくてもがんばるか」と決めるのも当人ですし、「もうすこし休むか」と決めるのも当人です。


ある程度冷酷にならないとお金持ちではいられない。富とは断るということに結びつきますからお金持ちは、私からしてみれば信用のおけない人間なのです。

山口路子(2021)「サガンの言葉」大和書房


村上春樹さんの『スプートニクの恋人』という作品に、こんな言葉が登場します。

「他人のことがなんとでも簡単に言えなくなったら、世界はすごく陰鬱で危険な場所になる」


まさにこれです。

無責任でいられるからこそ、優しいことばを投げかけることができるのです。


厳しい言葉もおなじです。

その言葉を受け取ってどうするのかは相手が決めることだから、言った側が責任をとる必要はない。

そんな考えが前提になっているからこそ、厳しい言葉を投げかけることができます。


同調圧力を強く感じながら育ってきた日本の子どもたちにこれを教えると、他人を否定してはいけないと習うので、誰がどんな意見を言っても、「イエス、イエス、イエス」となり、「そうですね、そういうこともありますね」と同調するだけで終わってしまう。自分自身の価値観をもとに考えを表明することさえできません。

平田オリザ(2022)「ともに生きるための演劇」NHK出版


あなたに向けられる言葉のほとんどは、無責任がゆえに生まれたものです。

インターネット上の言葉なんてなおさらです。

そんな言葉に、踊らされる必要なんてありません。


と言いたいところですが、これもまた無責任が故に生まれてくる言葉です。

踊らされるかどうかを決めるのも、結局はあなた自身です。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。