映画『アリスのままで』を観て、記憶と愛は永遠に失わないものなのかを考える
今日も私のnoteを読んでくださりありがとうございます。
candy@です。
人にとって失ってしまうと辛いものはなんだろう?
健康、お金、仕事や家族一つではなくたくさんあると思う。
その中に記憶を考えてみたことがあっただろうか?
もし記憶を失ってしまったら、記憶喪失ではなく
それも認知症という形で自分のことさえわからなくなるとしたら
この映画はアリスという女性が50歳の若さで若年性アルツハイマーになるところから始まる。
高齢化社会になり認知症の高齢者が増えてきているが
もし予期せぬ50代で認知症にかかってしまうとどんな生活になるのだろう。
そして家族はどうなっていくのか・・・
『アリスのままで』
2014年公開 アメリカ映画
”あらすじ”
アメリカの名門大学の教授で言語学者のアリスは医者の夫を持ち法律家の長女、医学生の長男そして大学生の二女がいる母親でもある。
自分を含めエリート家族でお互い仲良く円満な家庭生活を送っていた。
50歳の誕生日を家族に祝ってもらう幸せ絶頂なアリス
ところが、ある日彼女は簡単な単語が出てこないことやジョギング中に家へ帰る道がわからなくなったりしたことに不安を覚えて医師の診断を受ける。
診断結果は若年性アルツハイマーで遺伝性のものだと判明する。
アリスの母と妹は事故でアリスが若い頃に既に亡くなっており、父親もアルコール依存症で精神を病み数年前に亡くなっていた。
記憶を思い起こすとアルコール依存症で施設に入っていた晩年の父親にその兆候があったと気づくアリス。
アリスは自分の病気のことを家族に打ち明けて病気に向き合っていくことを決心する。
家族はそれを聞いて冷静に彼女を見守ることに同意する。
投薬治療をはじめとして病気に良いとされる食事や運動、脳トレなどできる限りの努力をする。
彼女の強い意志は自分自身をなんとか保とうと必死である。
私ならそこまでできるだろうか?
絶望感で自暴自棄になるかオロオロして落ち込むだけなのではないだろうか。
言語学者であるアリスが言葉を忘れていくとはなんと悲しくて皮肉なことだろう。それは本人が一番恐れていることである。
これまで築き上げてきた輝かしいキャリアや長年頑張って学んできた知識が尽く消えていくのである。
プライドとやりがいを持ってしていた仕事さえも学生からの評価も下がり できなくなり、とうとう教授の仕事も退職。
彼女は自分が自分でなくなった時のことも考えて認知症施設の見学をしたり
悲しいことだが自らの命を断つ方法も考えて密かに準備する。
その後、意識がまだはっきりしている間にとアリスが自分の病気のことを講演会で話すシーンは病気に立ち向かう勇気を与えてくれた感動シーンだった。
『私は今、このかけがえのない瞬間を生きている』
そう誰にも未来のことなんかわからないし、自分に起こったことを嘆き悲しんでも仕方がないこと
だからどれだけ今を精一杯生きるのかが大切なのだとアリスは訴える。
この若年性アルツハイマーの進行はとても早くてアリスは言葉だけでなくて
家族のことや最終的には自分が誰なのかもわからなくなっていく。
自宅の中でもトイレがどこかわからずに失禁してしまうアリス
そんな彼女を夫は落ち着かせて着替えさせたりと一人ではもはや生活が困難になってくる厳しい現実。
キラキラと輝いていた美しくて知的だった妻(母)がそれを失っていく姿を目の当たりにする家族の気持ちも辛い
しかし、アリスは言葉や認知機能は失っていったが
家族の絆は失うことなくむしろ強くなっていったのだ。
母との葛藤もあり家を出ていた二女リディアは母の介護のために(母と時間を過ごすために)自らの意志で大学も辞めて西海岸から東部の実家に戻ってくる。
リディアとアリス
弁護士の長女も仕事をしながら(妊娠中でもありながら)日々母のもとへ様子を見に訪れる。
家族はヘルパーの手も借りながら協力しあってアリスを支えている。
だんだんと意識が混濁して1日のほとんどを眠ってしまうアリス
まるで赤ちゃんに戻っていくかのようなアリス
二女のリディアがアリスに「星の王子様」の本を朗読するラストシーンが印象的だ
「ママ、今のお話に書かれていたことは何についてかわかる?」と聞くと
アリスは
「愛」
と答える。
最後まで彼女が理解していた忘れない言葉(感情)は「愛」なのか
もし最後に残るものがその人の本質ならばアリスの本質は愛だったのかもしれない
それともアリスは愛、愛するということを人生の中で一番大切にしていたのかも
だからたとえ自分が誰なのかすらわからなくなっても
アリスの中に愛はいつまでも残っているのだろうかと想いを巡らせてみた。
アリスが愛した家族との想い出や記憶はきっと彼女のどこかに存在して
永遠にアリスの心に刻まれている。
私の本質ってなんなんだろう・・・
私がnoteに書いている記事には私の家族のことや私が感じたこと、思い出も含まれている。
いつの日か懐かしがりながらそれらを読む日がくるのかもしれない。
そしてこの映画を観て私がふと思ったことがある。
万が一、私が認知症になったり、自分が誰だかわからなくなった時に私の書き残したnoteを読むことはできたとしたら(読んで理解する力が残っていたなら)
「この人(私)の人生にはいろんなことがあったけど優しい家族に囲まれて充実した幸せな人生を送った人だったんだな」と温かい気持ちになれるようなnoteを書きたいと思ってしまった。
映画を観たばかりなので少し感傷的になりすぎたかな・・・
記憶や思い出
それはたとえ本人が無くしてしまってもその人を知っている人が生きている限りは永遠に消えてはしまわないもの
私が残したものを誰かが読んでくれたらそれはその人の中で生き続けてくれるのかもしれないと想像に耽りながら今日は終わりたいと思います。
この映画に興味を持たれたら予告編をご覧ください。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
感謝しています。
読んでくださりありがとうございます💖 それだけでとても嬉しいです!