LIVE Japan Volcano Eruption Sakurajima 桜島 日本 20220811

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 近年、約100年前の状況が再来しているのではないかと感じるときがあります。
 1914(大正3年).01.12鹿児島県桜島において、大正噴火が発生しています。
 流出した溶岩が、大隅半島と桜島の間の400mの海峡を埋めています。

https://www.data.jma.go.jp/vois/data/fukuoka/506_Sakurajima/506_history.html
気象庁|桜島 有史以降の火山活動
大正時代以前の大噴火については、小林 (1986)、 小林・溜池(2002)以外に以下の論文を参照した。 天平宝字噴火(小林,1982;味喜,1999;Okuno et al.,1997、1998)、安永噴火(井村,1998;小林,2009)、大正大噴火(中央防災会議,2011)。 その他の噴火記録は福岡管区気象台(1965)など気象庁記録によった。
https://weathernews.jp/s/topics/202001/100205/
大正噴火から106年 桜島が「島」でなくなった大噴火 - ウェザーニュース
https://www.gsj.jp/data/openfile/no0525/index.html
山口鎌次氏撮影の桜島噴火写真
桜島火山大正噴火(1914年1月12日噴火開始)の様子などが記録されているガラス写真乾板115枚が産業技術総合研究所(以下産総研)に保管されていました。

 1914桜島噴火に関して、内閣府の『報告書(1914 桜島噴火)』では、『この間、村役場当局は測候所に噴火の有無を問い合わせたが、「桜島に噴火無し」との返答だった。大部分の住民は安永噴火の教訓に従い自主的に避難したが、測候所の言を信用した一部知識階級は居残り、逃げ遅れる事態を招いた』としています。

https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1914_sakurajima_funka/index.html
報告書(1914 桜島噴火) : 防災情報のページ - 内閣府
第1章 桜島の火山としての特徴と噴火の推移
②歴史時代の大規模噴火
歴史時代の活動としては天平(てんぴょう)宝(ほう)字(じ)(764)・文明(ぶんめい)(1471)・安永(あんえい)(1779)・大正(1914)などが知られている。天平宝字噴火は鍋山の水蒸気マグマ噴火の後、溶岩を流出させた。文明噴火は歴史時代で最も大規模なプリニー式噴火であり、膨大な軽石のため、北岳の地形が一変したほどであった。桜島の東北東と南西に溶岩を流出させている。安永噴火もまた割れ目噴火で、プリニー式噴火・火砕流発生の後、北東と南に溶岩を流出させた。更にその後、海底噴火があり、安永諸島と呼ばれる新島が出現した。大正噴火については後述する。
第2章 大正噴火の経過と災害
①噴火等の経過
1913年真幸(まさき)地震・日置地震・霧島山噴火など南九州一帯は地学的に活動的な時期にあった。その中で桜島島内でも井戸の水位低下や有感地震などの前兆現象があり、一部住民は自主避難し始めた。1月12日10時5分西山腹で、同15分には東山腹で激しい噴火を開始した。13日20時14分西山腹で火砕流が発生して西桜島の集落は焼失した。21時頃から溶岩流出に転じ、15日夕刻には海岸線に達した。この西山腹からの溶岩流は烏島を埋め、概ね2ヶ月で終息したが、東山腹からの溶岩流は瀬戸海峡を埋め、1月末頃大隅半島に達し、翌1915年春まで断続的に続いた。
なお、この間、村役場当局は測候所に噴火の有無を問い合わせたが、「桜島に噴火無し」との返答だった。大部分の住民は安永噴火の教訓に従い自主的に避難したが、測候所の言を信用した一部知識階級は居残り、逃げ遅れる事態を招いた。島民の犠牲者は30名であった。
一方、12日18時20分、マグニチュード7.1の地震が錦江(きんこう)湾内で発生、被害は鹿児島市および周辺部に集中した。これにより動揺して、津波や毒ガス襲来のデマが飛び交い、一時市内は無人状態になったという。

 1779安永噴火は、過去17回あった桜島大噴火のひとつです。

http://www.sakurajima.gr.jp/sakurajima/001953.html
14 安永諸島 - みんなの桜島
新島(しんじま)、猪ノ子(いのこ)島、中ノ島、硫黄島。
桜島の北東沖に浮かぶ4つの島を、安永(あんえい)諸島と呼ぶ。
1779年に始まった安永噴火の際に誕生したからだ。
安永噴火は、過去17回あった桜島大噴火のひとつに数えられる。
大量の軽石や火山灰が噴出し、北東と南の両斜面より溶岩が流れ、島は形を変えた。
死者は100人以上。噴出物の量は、大正噴火と同程度だと考えられている。

 1923.09.01に関東大震災が発生しています。
 2023年で関東大震災から100年となります。

https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai/index.html
報告書(1923 関東大震災) : 防災情報のページ - 内閣府
第1章 被害の全体像
1923(大正12)年9月1日正午2分前に発生した関東大地震はマグニチュード7.9と推定される、近代化した首都圏を襲った唯一の巨大地震であり、南関東から東海地域に及ぶ地域に広範な被害が発生した。死者105,385、全潰全焼流出家屋293,387に上り、電気、水道、道路、鉄道等のライフラインにも甚大な被害が発生した。
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167169411
文春文庫『関東大震災』吉村昭 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS
大正12年9月1日、午前11時58分、大激震が関東地方を襲った。建物の倒壊、直後に発生した大火災は東京・横浜を包囲し、夥しい死者を出した。さらに、未曾有の天災は人心の混乱を呼び、様々な流言が飛び交って深刻な社会事件を誘発していく。二十万の命を奪った大災害を克明に描きだした菊池寛賞受賞作。

 1918年3月に、スペイン風邪(スペインインフルエンザ)が確認されています。
 約100年後の2019年12月に新型コロナウイルスが確認されています。

https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2488-idsc/iasr-news/9425-481p02.html
国内初の新型コロナウイルスのヒト―ヒト感染事例
(速報掲載日 2020/2/26) (IASR Vol. 41 p63-64: 2020年4月号)
新型コロナウイルス(以下、SARS-CoV-2)は、2019年12月以降中華人民共和国湖北省武漢市で発生した原因不明の肺炎患者から検出された新種のコロナウイルスである。2月11日、世界保健機関(WHO)は新型コロナウイルス感染症の正式名称を「COVID-19(coronavirus disease 2019)」と定めた(以下、COVID-19)。
https://www.cas.go.jp/jp/influenza/backnumber/kako_01.html
スペインインフルエンザ(前半)|内閣官房新型インフルエンザ等対策室
1.スペインインフルエンザとは
スペインインフルエンザは、1918年3月頃から1920年頃まで全世界で流行した、科学的に検証可能なインフルエンザパンデミックの中では史上最大のものです。統計は諸説ありますが、この間、当時の世界人口18億~20億人の1/3以上が感染し、数千万人(概ね2千万人~5千万人といわれます)が死亡し、その致死率(発病者数に対する死亡者数の割合)は2.5%以上と推計されています。この流行は第一次世界大戦の最中に起こりましたので、参戦していた国々の兵士にも甚大な被害をもたらし、戦局にも大きな影響を与えました。
2.スペインインフルエンザはどこで発生したか
スペインインフルエンザが世界のどこで最初に出現したか、明確な証拠はありません。インフルエンザウイルスが発見される前のことですからウイルス学的な確定診断はできませんし、また届出義務のある疾患ではなかったのですから、正確な疫学データがないのはやむを得ません。
スペインインフルエンザにつながる最初の流行としてはっきりした記録があるのは1918年3月の米国であり、ここから流行が始まったとする見方が一般的です。しかし、記録があることと真の発生地は同じとは限りません。特に中国は、アジアインフルエンザや香港インフルエンザが発生し、また鳥インフルエンザA(H5N1)やA(H7N9)ウイルスのヒト感染が最初に報告された国でもあることから、スペインインフルエンザも中国で発生したのではないかとする見解があります。その他、ヨーロッパ(フランスなど)やアフリカ起源とする説もあります。ここでは米国から流行が始まったと仮定して話を進めます。
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163557908
『四千万人を殺したインフルエンザ スペイン風邪の正体を追って』ピート・デイヴィス 高橋健次・訳 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS
一九一八年、第一次大戦のさなか、もうひとつの恐怖が世界を席巻していた――スペイン風邪。アメリカの犠牲者は戦死者数を上回り、イギリスのある村は全滅、地図からその名が消えた。このおそるべきインフルエンザウイルスの正体は解明されていない。ウイルスが抗生物質への耐性を強めているいま、もし同じような大流行が起これば、四十億が罹患し、死者は一億に達するとされる。

 フランスのパリでは、1910年1月にセーヌ川が氾濫しています。
 約100年後の2016年、2018年にセーヌ川が氾濫しています。

https://jp.reuters.com/article/france-weather-seine-idJPKBN20X0HL
パリの長雨でセーヌ川が増水、河岸浸水で遊覧船が運航停止 | ロイター
2018年1月の洪水時には、セーヌ川の水位は5.84メートルまで上昇し、ズアーブ兵は腰まで水につかった。
2016年6月の洪水では水位6.1メートルを記録。ルーブル美術館が所蔵品を避難させたり、数千軒の家屋が浸水する事態となった。
パリ市当局はこれまでに何度も、1910年1月に起きた大洪水の再来の可能性を警告している。当時は水位8.62メートルに達し、パリ中心部の大部分が水没した。
https://www.bousai.go.jp/kohou/kouhoubousai/h30/91/news_06.html
防災の動き : 防災情報のページ - 内閣府
特に1910年の大規模洪水は8.62mに達する「100年に1度の洪水」とされ、統計のある1649年以降2番目に高い記録であった。
同報告書は、1910年セーヌ川氾濫により、500万人の住民に被害をもたらし、経済的にも300億ユーロから3000億ユーロの直接被害及び間接被害(雇用、経済、財政への影響)が生じたと発表した。
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b205758.html
パリが沈んだ日 - 白水社
1910年1月、花の都パリは巨大な湖と化した。セーヌ川のほとりに生まれ、大きくなっていったパリの町。パリ市の紋章にはラテン語で「たゆたえども沈まず」と書かれているが、紀元前以来、パリは頻繁に洪水にみまわれている。地震や津波、噴火の驚異にさらされることのないパリの人々にとって唯一ともいえる自然災害が、セーヌ川の洪水であった。本書はこの洪水をテーマとするユニークなパリ史である。

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