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踊り続ける・わたし・その意味


ーーなんだか、ちょっと前から、「世界」が、少し、暗いような気がする。。

ーーもしかしたら、「天照大神さま」がお隠れになっていらっしゃるのでは?

 最近、ふと、そんなことを、思った。

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 もしも、「天照大神さま」がお隠れになっていらっしゃることで、「この世界」に不具合が起こり、みんなが「悲しいおもい」をしているとしたら、わたしに、出来ることって、何かあるんだろうか。。

 そんなことも、思った。

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 もしも、わたしが「アメノウズメノミコト」になって、「天の岩戸」の前で踊ったら、「天照大神さま」は、お出ましになって下さるのだろうか。。

 そんな考えが、ふと、浮かんだ。

 この「妄想」は、わたしのこころのなかに、特別に、刺さった。

 そしてわたしを、なんだか不思議に、奮い立たせた。

 わたしは神道信者ではないけれど、「古代日本の歴史」や、「神さまのおはなし」が大好きなのだ。

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「アメノウズメノミコト」は、日本最古の「踊り子」と言われている。その「おはなし」は、かなり有名だ。

 「天照大神さま」が、「天の岩戸」にお隠れになったとき、世界は真っ暗闇になってしまったので、神さまたちは、「天の岩戸」の前に集まって、どうしたものか、会議を開いた。なかなか埒が明かない。そんなとき、「アメノウズメノミコト」が現れ、「天の岩戸」の前で、桶を逆さにした上に立ち、裸体を晒して踊りまくった。

 その「踊り」が、あまりに、斬新で、意表を突いていて、面白かったので、集まっていた神さまたちは、大声で囃し立て、笑い出したのだ。

 その楽しげな笑い声を聞いた天照大神さまが、

 「何事か?」

と、「天の岩戸」を少し開けてお覗きになった。

 「あなたさまよりも、尊い神さまが現れたのです。」

と、「アメノウズメノミコト」が語ると、「天照大神さま」は、さらに、「天の岩戸」を開けたので、「アメノウズメノミコト」は、「天照大神さま」に鏡を見せる。

 鏡に写っているのは、「自分の顔」なのに、「天照大神さま」は、「尊い神さま」だと思い込む。そして、さらに、その「尊い神さま」をよく見ようと身を乗り出した。

 その瞬間、力持ちの天手力男神(アメノタヂカラオ)が前に出て、すかさず、「天照大神さま」を引きずり出したのだ。

 「天照大神さま」は、お出ましになられた。

 それによって、「世界」は、再び、明るさを取り戻した。

「アメノウズメノミコト」は、裸体を晒して踊り、文字通り、身を挺して、「天照大神さま」と「世界」を救った、というおはなしだ。

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「踊るために生まれてきたような子」。。

 わたしは、二才から三才の頃、まわりの大人たちからそう言われていたらしい。

 あまりに踊ってばかりいるので、ある日、わたしは、母に、近所の、「日本舞踊」のお師匠さんのところに連れて行かれた。

 「お師匠さん」は、「踊ってばかりのわたし」を大変に気に入ってくれて、熱心に「踊り」を教えてくれたそうだ。

 わたしは、三才から四才くらいの頃は、舞台で、「お師匠さん」の横に立ち、一緒に踊り、住んでいた町の、「お祭り」などでも、「活躍」していたらしい。

 そのまま続けていたら、「日本舞踊」が、わたしの「居場所」になっていたかもしれなかった。

 でも、「お師匠さん」は、残念なことに、若くして、「不慮の事故」に遭い、突然に、亡くなってしまった。あっけないお別れだった。

 他に教えてくれそうな新しい「お師匠さん」も見当たらず、わたしの「日本舞踊」は、そのまま、立ち消えた。

 そして、「踊るために生まれてきたような子」という、「言葉」だけが残った。

 もう、六十年以上昔のおはなしだ。

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 時は流れ、中学生になったわたしは、十四才くらいの頃も、よく、勝手な振り付けをつけては、一人で踊っていた。

 意味不明な踊りだったけれど、わたしは、その頃は、「ミュージカル女優」に憧れていたのだ。

 でも、五十年も前の、東北の地方都市で、まだ、「ダンス」の授業もなく、何をしたら「夢」が叶うのか、情報もなく、わたしの独りよがりの「ダンス」は、そのままに、立ち消えた。

 その頃のわたしの日々には、「進学校」への「受験」という「目標」しか無かったから、「ダンス」が入り込む余地は無かったのだ。

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 その後、わたしは、順調に、大学に進み、就職試験にも合格して「公務員」になった。

 けれども、「公務員」は、わたしには向いていなかった。二年ほど働いたけれど、わたしは「適応障害」を起こして、結局、「休職」を余儀なくされ、「自宅療養」の日々を送ることになったのだ。

 その頃のわたしは、よく、「かなしばり」に遭った。

 ある寒い日の昼さがり、こたつに入ったまま寝てしまったわたしは、ちょっと寝たところで、またまた「かなしばり」に遭った。

 「かなしばり状態」で、中途半端に、目を覚ましたわたしは、そのとき、とても不思議な光景を見せられたのだ。

 わたしのからだは、こたつに入ったまま寝ているのだけれど、こたつの上に、もうひとりの「わたし」が「踊っている」。

 「かなしばり」だから、動けないし、うまく息も出来なくて、苦しい。

 寝ているわたしは、「こたつの上のわたし」を見ていることしか出来ない。。

 「こたつの上のわたし」は、「寝ているわたし」から、まるで「幽体離脱」しているように見えた。

 「♪しゃんしゃん」

という、不思議な音がする。

「こたつの上のわたし」は、「真っ白い衣裳」を着て、一つに束ねた長い髪を振りながら、先の尖った変わった靴を履いて、「しゃんしゃん」という音の出る「鈴のような楽器」を片手に持ち、その「楽器」を頭の上に掲げて、一心に「踊って」いた。。

 やがて「かなしばり」は解けて、起き上がることが出来たのだけれど、わたしは、「不思議な姿」の「もうひとりのわたし」を、どうにも忘れることが出来なかった。

 今ならきっと、「スマホ」の「画像検索」で、「瞬時」に調べられるだろうけれど、四十年以上も前のことだから、「情報」も少なく、わたしは、その「不思議な姿」について「理解する」のに、結構な時間がかかった。

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 それは、「巫女」のような姿だった。

 直感的に、わたしは、「そのひと」は、「前世のわたし」だと感じた。

 「前世」のわたしが、「今世」のわたしのことを心配して現れ、「お祓い」のために、「踊って」くれている、と、わたしは思ったのだ。

 それからほどなく、偶然に、「祝子」という名前は、「ほうりこ」とも読めて、「巫女」という意味を持つということを、わたしは知った。

 ーーなんだ。わたしって、前世は「巫女」だったのか。。

 ものごころついてすぐの頃から、「おおくにぬしのみことさま」と結婚するのだ、と、固く信じていたり、また、「かなしばり」にもよく遭って、枕元に、「あの世の人たち」が現れては、「助けて下さい」とすがって来たりすること、などの「謎」も、解けたように思えた。

 「祝子」は、母方の祖父が名づけてくれた名前だけれど、この名前になることは、もう、前世からの「約束」だったのかもしれない、とも思った。

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 「自分の前世が巫女なのではないか」という考えは、半分は「妄想」なのだけれど、わたし的には、ちょっと信じてみたいような、面白い「妄想」ではある。

 「アメノウズメノミコト」は、「天照大神さま」にお仕えした巫女であった。

 この、少し、暗くなりかけている「世界」に、一石を投じるために、わたしは、「妄想上」で「アメノウズメノミコト」となり、「天の岩戸」の前で、「踊って見ようか」と思い立った。

 「アメノウズメノミコト」は、惜しげもなくその「裸体」を晒して踊った。

 ならばわたしも、自分の、「私小説」という「裸体」を、惜しげもなく、「披露」しようではないか、と思うのだ。

 「天の岩戸」の前で、「天照大神さま」が、お出ましになられることを、こころ待ちにしている、たくさんの神さまたちが、たいくつしないように、わたしは、「私小説」という「裸体」を晒して、踊り続けようと思っている。

 いつか、「天照大神さま」がお出ましになる日を信じて。

 「世界」が、少しでも、明るくなりますように。

 「不具合」が、少しでも、「是正」されますように。

 皆さんが、たいくつしませんように。

 ずーっと待っていられますように。

 わたしは、踊り続ける。

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 聞こえているかい。

 これは、わたしの「独り言」。

 そして「わたしだけの詩(うた)」

 ほんの少しの恩返し。。

 だから、メモ書きのように、残しておきたいだけなんだ。

 

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