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Howの蓄積。 2021.5.1
近ごろ改めて、常識の功罪を考えている。大阪のプロデューサーとやっているYOU TUBEのテーマを「常識と非常識」にしたこともあって、常識を自分なりに解析してみたりしている。すると、また少し鮮明になったことがある。実は常識は役に立つ。いや本当だ。
但し、平穏無事な時代では。そんな注釈が付く。常識とはHow的な知恵の集合体。僕らが日々を生きていて、衣食住、冠婚葬祭といった暮らしの折々で、いかに振る舞
ビーサン考。 2021.4.25
ビーサンが好きである。ビーチサンダルを略してビーサン。毎年4月には履き始め、11月頃まで愛用しているので、およそ年の半分以上は世話になっている計算だ。他の衣類などと比べても、こんなに日常的に身に付けているプロダクトは見当たらないと思う。
勤め人ではない上に、定型を嫌う気持ちが常にあって、いわゆるスーツ、ジャケットの類もオリジナルをデザインしたりしつつも、40歳を超える頃には着なくなっていた。そん
一枚の写真から。 2021.4.19
いまから37年前に撮影した写真。巨大なサクラマス。僕は当時失業中で、持て余す時間を利用して、この魚の調査に勤しんでいた。晩秋の数週間、防水カメラと借りたビデオを持ち、毎日1人でダム奥の小渓流に通った。ある日の夕刻、幸運にも数枚の撮影に成功した。
北九州のとあるダムに流れ込む小さな渓流。そこに巨大なサクラマスが産卵に遡上することは、一部の釣り人の間では公然の秘密だった。ヤマメの30%ほどは陸封され
キチガイに刃物。 2021.4.13
この世には、大小様々な矛盾があるが、軍事政権ほど筋の通らない出来事はないのではないか。まがりなりにも選挙で選ばれた政権が、武器を携えた軍隊に無理矢理乗っ取られて、国民の自由が奪われ、圧政が敷かれる。法律も何もあったものじゃない。それ、政治?
いやいや、それはただのテロだよ。あのナチスだって、選挙を経て、合法的に与党になったのに。それ以下。国民を守るための銃口が、その国民に向けられ、ついには銃撃さ
editforest発進。 2021.4.3
エディットフォレストと読む。和訳だと編集の杜。なんだそれ。まあ、そうだよね。そもそもの始まりは、九州経済産業局のデザイン系のプロジェクト。普通なら、クリエイターが集結するその場に、西日本新聞社が参加していた。それがすでに新しい萌芽だった。
言うまでもなく、マスメディアは変化の只中にある。情報を筆頭に、膨大なストックを持つ新聞社が、クリエイティブに関わる可能性は大いにある。時はコロナ禍の只中。繰り
使わない言葉。 2021.3.28
世にはいろんな言葉が行き交っている。文字離れなどと言われながら、その実こんなに人々が文章を書いている時代はない。それを加速させたのは、言わずと知れたSNS。糸井重里氏だったか、「いまの人は、読み過ぎ、書き過ぎ、調べ過ぎ」と喝破した。まったくもって。言葉は時代と共にある。日本語の乱れを嘆く良識派もいらっしゃるが、これは自然の摂理とも思う変遷。表現には、時々の空気と旬が必ずあるから。しかしである。その
もっとみる技術の手前。 2021.3.12
タイトルを、「情報の手前」にしようかとも考えたが、言いたいことはこちらにもっと近いなと思い、技術の手前にしてみた。情報も技術も、何の前触れもなく忽然と現れるわけではなくて、情報は探している人が見つけ、技術は求めている人が引き出すと思っている。
こんな情報があればいいなとか、あるんじゃないかとかいった感覚。または、こんなことできたらいいなとか、できるんじゃないかといった妄想。超然とした夢物語ではな
品行方正? 2021.2.19
品行方正、少なし仁。若い頃はこんなことを言ってふざけていたものだ。生まれてこの方、優等生だったことは一度もない。当時は開き直って、そんな戯言を吐きながら悪友どもと笑っていたのだが、最近の世の中の潔癖性向には、言いようのない違和感を感じている。
芸能人の不倫騒動はまだしも、政治家の失言やスキャンダルを、針小棒大、なにか大罪でも見つけたように大騒ぎし、ついには引きずり下ろしてしまうメディアと大衆。当
枠と中心。 2021.2.14
コンセプトの話をしているとする。どこからどこまでがOKで、どこからがOUTなのか?と尋ねられることがある。つまり、敵は線引きがしたいのだ。明確な正誤の境界があって欲しいと望んでいる。コンセプトメイクとは、枠を作る作業だと思われているらしい。
イメージの話をしているとする。こんなのはどうです?はたまたこれは?と合致しているかどうかを問われることがある。白黒はっきりつけたいようなのだが、イメージの輪
赤紙到着。 2021.2.8
この正月で65歳になった。長いようで短いようで。短いようで長いようで。若い時は想像すらできなかった老境。だが、いざ我が身を置いてみると、そこにはまた新鮮な風景が広がっている。いい気なものだ。どんな変遷があったところで、世界の中心はいま、ここなのだ。
赤紙が来ると聞いていた。介護保険を受けることができる事実の知らせを、召集令状の葉書になぞらえる先輩方の洒落。そしてそれは本当にやって来た。誕生日から
伊藤靖浩くん。 2021.2.1
2018年の夏、心当たりのない人物からFacebookのメッセージが届いた。突然の連絡を詫びる言葉から始まるその文章には、「FBで偶然見かけたのですが、もしかして36年前に渓流で出会った江副さんですか?人違いならごめんなさい」とあった。たちまち、記憶が甦った。
当時、20代の終盤だった僕は、家業の米屋を手伝いながら、先の見えない日々の只中にあった。一方、24歳の春から始めたフライフィッシングは、