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■お城をめぐる旅①―姫路城に行ってきました(1)

えりたです。

先日、所用があり姫路に参りました。用事自体はすぐに終わりましたので、残った時間でずっと行きたいと思っていた「姫路城」へ伺うことにしたのです。

その日は日曜日でしたが、雨は降ったりやんだりでしたので、人もそこまではいないだろうと踏んで、兎にも角にもレッツゴー。なかなか楽しい旅になりました。

・ ・ ・

今週から何回かに分けて、姫路城での旅を綴りたいと思います。どんよりなお天気でしたので、お写真もそんな風情に。

ご一緒に旅時間を楽しんでいただけたら幸いです。

ではでは、参りましょう。



■正面に現れる

■迷子癖にもやさしい仕様

いつも書いていますが、私には「迷子癖」標準装備されています。

駅から離れた公園に行こうとして、地図を見ながら歩いていたにもかかわらず、「墓地」についたり。すんなりと劇場に着くはずだったのに、まっすぐ「真反対に」歩いて行ってしまい、結果、交番で道を聞いて憐みの眼差しをいただいたり。

そのあたりの武勇伝には事欠きません。

なので、姫路城に関しても改札を出るまでは戦々恐々としていました。

不意に思いついた旅でしたので、何の用意も心構えもなく、ただ駅に来た!というだけだったのです。ですから、「また迷子になって辿り着けないのでは…?」とちょっとびくびくしながら改札を出たのです。

駄菓子菓子。

全然問題ありませんでした♡
だって。改札を出たらすぐに「姫路城はこっち」な看板がありましたし。

何より。

駅の北口を出たら、真正面に姫路城は見えていましたし。さらに言えば、見えている道は「まっすぐに」姫路城へ続いていましたし。

姫路城への道は、迷子がデフォな私でも絶対に辿り着ける、やさしく至れり尽くせりな仕様になっていたのでした。

■街のどこからでもお城が見えるということ

熊本城や高知城が典型的にそうなのですが、姫路城も町のあちこちから見えるお城でした。

日常生活の風景に、ふつーにお城があるということ。

これってとてもすてきだなと思うのです。何と言うか……その地域の人の無意識の部分を「暮らしている土地」がちゃんと支えている。それを「お城」という形で、みんなが「シンボル」として共通して持っている。そんな風に思うのです。

私がよくいる「名古屋城」は、あつた台地の縁に建っていますが、まわりの建物にさえぎられて、町のどこからも見える仕様にはなっていません。ですから、地域の人にとって、どちらかと言えば「出かける場所」として存在するお城です。

でも、姫路城のように「いつもの風景に溶け込んでいる場所」として在るというのは、その土地への愛着とかそういった部分で一段と深い慕わしさを醸しているような気がするのです。それは私にはもう持てない感覚ですし、とてもうらやましいと思ってしまいます。

だから、というわけではないのでしょうが、歩いているとあちこちで「姫路城」に関わるものを見ることができます。

マンホールにシラサギ
かわいい鯱
ポストにも家紋が

道がとても広く、江戸時代の区画を使っている部分もあるようで、歩いていると、それだけで高揚してきます。

この日は夕方から地元のお祭りもあり、道のところどころに開店前の屋台が並んでいるのも印象的でした。

■そんなこんなで辿り着くと

■存外歩きました

勇壮な姿は見えていますし、辿る道からも見えていますから、おそれずに進むことはできるのですが、思ったよりも距離はありました(笑)

でも、兎にも角にも到着。

ぱらぱらと小雨の降る中ではありましたが、水堀が美しく、そこにかかる橋も風情があり、いよいよ気持ちも盛り上がってきます。

私がいつもいる名古屋城は、基本的に「空堀」で出来上がっていますから、水堀を見ると「お城に来た感」がより盛り上がります。

この日は不意に思いついた旅でしたので、iPhoneしかもっていなかったのですが、それでもあちこち写真に撮りまくり、「姫路城うぇ~い」な気持ちを全開にしていたのでした。

■見慣れた風景もありました

このお写真の左端に映っているのですが、姫路城の門には陣笠さんが幾人かいらっしゃり、談笑しつつ、番をなさっていました。

陣笠さん自体は名古屋で見慣れているのですが、こうして笑顔で門番を務められている様子を見ると、「江戸時代もこんな風だったのかな」と初っ端から思いを馳せることができ、とても楽しい。

小雨の降る中ではありましたが、そんな様子にほっこりしながら、いそいそと入城したのでした。

■ちょこっとだけ沿革を

姫路城の前身は、鎌倉時代からの過渡期に築かれた砦でした。1333年、赤松則村が護良親王の命により挙兵し京へ塀を進める途中に築いたものだそうです。

1333年といえば、足利尊氏が元弘の変に際して、鎌倉幕府の命を受け西上したものの、途中で後醍醐天皇の詔を受け、幕府に反旗を翻し、六波羅探題を滅ぼした年です。 姫路城も六波羅攻めの足掛かりとして築かれました。

そうして、時は200年ほど経ち、黒田官兵衛が1546年に姫路城で生まれます。そんなもろもろが関わり、羽柴秀吉が毛利氏攻略の足掛かりとして姫路に入ったのです。

現在の姫路城の基礎は、このとき秀吉さんが築いたものだそうです。1583年に大坂城を築くまで、秀吉さんが姫路城の城主だったとか。この壮大な天守も秀吉さんからの歴史が連なっているものだったのですね。

実は、ワタクシ、このあたりの時代の歴史にはとんと疎いのです。織田信長さまを主君とするわりには戦国時代の知識が教科書程度と言ってよく……姫路城に秀吉さんが関わっていることを、今回初めて知ったというていたらく。

ですから、姫路城に関しても、とても簡略に「姫路城=池田家」からの「暴れん坊将軍のお城」くらいしか認識していなかったのです。

ですが、上の郵便ポストにあった家紋からも分かるように、姫路城はその主が歴々と変わっていったお城。今回、こうして訪れることで、みんながこの場所をたいせつに発展させていき、その上に「今」があるのだなぁと改めて生身に実感できたのはとても良かったです。

■威容と畏怖と

姫路城は券売機のある入場口に辿り着くまでに、三の丸広場を通り抜けます。これがまた広い。そして、そこから見る天主がとても美しい。

というか。このお城って、どこからお写真を撮っても優美な美しさが感じられるですよね。しかも、この日は小雨の降る空でした。が、その曇り空さえも、威風堂々とした天守にさらなる説得力を与える背景となっていたのです。

その美しさは、現在で言う「映え」とか、そんな軽い言葉では支えきれないものでした。

威容を誇り、身近にある人には安心感を、間遠な人には畏怖を無言で与える存在感が、そこにはありました。

日本最高峰の木造建築であり、また、世界遺産ともなっている姫路城。大改修も含め、丁寧に細やかに保存するための努力がはらわれているからこその姿でもありましょう。

でも、それ以上に、このお城を皆が大切に親しんでいるからこそ、見る人の心ひとつひとつに感動をそっと置いてくれるのではないかと思うのでした。

■まとめ

■って、あれ。辿り着かない。

というわけで、今回は姫路駅から姫路城の入城口までのお話でした。……えぇ、いろいろ書いていたら全然辿り着かなかった💦

でも、姫路という町が、それくらい「語りたい!」という衝動をみっちりと育ててくれる場所であったとも言えるわけで。もしかすると、こういうところが思いつきの旅の醍醐味なのかもしれません。


■というわけで

これから何回かに分けて、姫路城の旅を綴ります。よろしければお付き合いくださいませ。

んじゃ、また。


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