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色なき風と月の雲 8

青々と葉が生い茂る桜の木から、うるさいほどの蝉の鳴き声が聞こえる。汗が止まらないほど暑いのに、その声のせいで余計に暑く感じる。

世にいう夏休みというものが近づいてくる。イベント系はこの時期がかき込み時なので、いつにも増して忙しくなる。

暑いのに野外での大規模ライブやイベントが増え、舞台稽古との両立がしんどくなりそうだ。

学生バイトも増員されるが、やはりそれでも休みづらい。

長時間の稽古や深夜練の日はさすがに休みを貰っているが、スケジュールを見てみると丸一日家で休める日なんて無い。



この夏の1番大きなイベントに招集された。

国内外の有名アーティストやアイドルを集めたもので、長時間かつ2日間も開催されるらしい。

どう考えてもしんどい。しかも野外。


今回は海外アイドルの通訳が足りないらしく、私は通訳として駆り出された。

伊達に何年もオタクをしていないので、ある程度は理解できて、話すこともできる。推しとコミュニケーションをとりたくて、頑張って勉強したのだ。

今まで自分が頑張ってきたことが、こうやって仕事として反映されるのはとても嬉しい。

担当アイドルは、よくうちでコンサートをしているグループだ。馴染みのあるグループなので、少し気がラクである。




「物販場所に行きたい」

グループの最年少が突然言い出し、行かせろ行かせろと大合唱が始まった。


行かせたら大混乱が起きるなんて分かっているけれど、子供のようにごねている男達をどうすることもできない。

マネージャー達もお手上げなようで、

「僕らも手伝いますから」

なんて言っている。



物販や警備のスタッフに連絡し、どうにか行けることになった。


「大混乱になる前に引き上げますからね。ちょっとだけですよ」

「「はーい」」


幼稚園児みたいに返事をしているが、こいつら絶対になにかやらかす。



物販のテント裏から入ると、すぐバレたようで

「「「「キャー」」」」

と、悲鳴が聞こえてくる。自分達のグッズが売られている場所だもの、そうなりますよね。


〈5分だけ、話すときは一言だけ、写真禁止〉

そう約束させたのに、彼らは何も守らない。


ファン側からすれば嬉しいだろう。私もそう思う。しかし5分で捌けた人数が、捌き切るまでに数倍の時間がかかったのだ。迷惑極まりない。

結局後で怒られるのは私だ。せめてマネージャーを叱っておいてほしい。


自由な彼らに翻弄されながら、怒涛の2日間が終わった。


連日の疲労と睡眠不足で、そろそろ限界。片付けもあるが、これでは倒れると思い医務室へ向かった。

誰もいなかったが、仮眠できそうなベッドがあったのでしばらくそこで休ませてもらうことにした。

疲れた─


ひやりと首元に冷たい感覚があり目を覚ました。スポーツドリンクと、〈無理しないで〉とだけ書かれたメモがあった。


その特徴的な文字は、すぐ分かる。麗さんだ。

そのスポーツドリンクを飲むと、身体がすっと軽くなった気がした。



片付けを済ませ、帰ろうとすると見覚えのある車が近づいて来た。


「乗って」

いつもと変わらない麗さん。今日は助手席ではなく、後ろの扉を開けてきた。


「ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいます」

少し休んだとはいえ、断る元気もなかったので乗せてもらうことにした。

「寝てていいから。しんどいでしょ」

自分だって2日とも炎天下の中ステージで踊っていたのに、人の心配なんてしている。元気だなぁ。


心地良い車の揺れのせいで、私はいつの間にか眠っていた。





目を覚ますと、黒い家具に囲まれた広い部屋だった。ダブルサイズのベッドはふかふかで、明らかに自分の部屋でも病院でもない。


カーテンの隙間からは太陽の光が差し込んでいる。きっと長時間眠ってしまっていたのだろう。


麗さんの車に乗せてもらったところまでは覚えているが、それ以降の記憶は無い。

とりあえず身を起こしてみると、服は昨日のまま。濡れたタオルが首元に巻かれている。

─さすがに何もないか


寝室を出ると、立派なソファで眠っている麗さんの姿があった。


普段は前髪をオールバックにしているが、下ろされていて顔が隠れている。

そっと前髪を梳かすと、長くて上向きの睫毛がみえた。すごく綺麗。


寝顔に見とれていると、

─ん~と言いながら、もぞもぞ動き出した。


「…おはよ」

開ききっていない目を擦りながら、眠そうに挨拶してくる。


「おはようございます。なんか、申し訳ないです昨日…」

「いーよいーよ」

いつものように手を振りながらキッチンへ向かう。

冷蔵庫から水を取り出し、

「お腹空いたよね?何食べる?冷蔵庫の中何にもないんだよねーカップ麺かレトルトくらいしかないけど」

そう言いながら棚をゴソゴソと探している。


「お構いなく」

私の声なんて聞こえていないのか、─お粥あった!なんていってお湯を沸かし始めた。



「いただきます」

黒いダイニングテーブル促され、お粥を食べる。

シンプルな梅だけのお粥で、ほんのり塩味がして美味しい。


「美味しいです」

麗さんも同じものを食べている。

「体調崩した時用に買っておいてよかった。賞味期限も近かったし、ラッキー」

無邪気に笑っている


「麗さん」

「ん?」

「ここって麗さんのお宅ですか?」

「そーだよ、この間の部屋の下」

作業室もそうだったが、この部屋もほとんど生活感を感じない。

「凄くシンプルですよね。物も少ない」

「うん。一応家なんだけどね、作業室のほうで寝泊まりすることも多いんだよ」


─なるほど。にしても贅沢だな。


「ねぇ、シャワー浴びて行きな。服は昨日のままだし、汗だくでしょ」

─服は僕のを貸すよ


鼻歌を歌いながら麗さんは自室に行き、上下のセットアップを持ってきた。

そして断る隙もなく、バスルームに押し込まれた。

洗面台に並ぶ化粧品やシャンプー、ボディーソープに至るまでどれも高級品だった。

申し訳ないなと思いつつも、使わせてもらう。


シャワーを浴びるととてもスッキリした。



髪を拭きながら戻ると、麗さんが顔を近づけてきて

「僕と同じ香りがする」

嬉しそうに笑っている。


「でも、彼シャツみたいにならなくて残念」

彼シャツね、確かに。


麗さんに借りたセットアップは、大きすぎるどころかピッタリである。身長が高めの私は、麗さんとあまり身長差がないから仕方がない。


「ドライヤーで乾かしてあげるよ」

ウキウキしながら麗さんはドライヤーを構えている。

申し出を断り、自分で乾かす。そこまでしてもらうわけにはいかない。



時計を見ると、昼の12時をまわっていた。今日も稽古があり、帰らなければならない。

「麗さん、これから行かないといけない場所があるので、帰りますね。お世話になりました」

自分の荷物を掴み、急いで玄関を出る。

呆気にとられる麗さんをよそに、駅まで走った。


電車に乗り込みスマホを開くと、

〈体調には気をつけて。今度は僕がお家に伺わせてもらうね〉

─よし、今日も稽古頑張ろう。





オリジナルのフィクション小説です。

題名を「初めて書いた物語」から「色なき風と月の雲」に変更しました。


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