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過去を愛し今の自分を認める

去年の8月、私はだいすきなフリースクールを辞める、と決断すると同時に、これからは自分で生きていく。起業して、自分自身で稼いでいく。「安藤愛莉」として、私で生きていく。
そう決めた。

その後、いざ、自分自身で生きていこうとすると、
「実績がない」「突出する能力がない」「なにかを突き詰めることもできない」「私でお金をもらうなんて申し訳ない」「なにをどうしていいかわからない」そんな感情に出会った。

自分には出来ないと感じ、起業している人たちは、特別な人たちだと思った。

怖くて、怖くて、口先だけ大きな事を言ったのに、行動も伴わず、お金もなくなっていく恐怖に、派遣で看護師もした。

それでも、自分で生きていく、という意思は変わらなかった。

どこかの組織に所属する会社の一員ではなく、私として生きていくという覚悟は変わらなかった。

ある日、本屋で「メモの魔力」に出会った。題名は知っていたが、メモに興味がなかったから読んだことがなかった。
その日は、なぜかその本に興味がわき、購入することを決めた。
家に帰って、その本を読み、ライフラインチャート(人生史)を知り、自分でも作ってみることにした。

初めて自分の人生を一枚の紙にまとめ、客観視した。

テンプレートをA3用紙にコピー印刷して、書き込んだ私の人生史は、書き込みきれないほど、思い出深いエピソードに、人生を変えた転機に、そして苦しみ抜いた出来事に溢れていた。

2年前まで感情にフタをしていた私は、自分史に感情の波を書き込むとき、それまでの人生の自分の感情がわからなかった。

場面は覚えている。こんな出来事があった、は出てくる。でもそのときの感情がわからない。
でも記憶の中の私は【無】という感じだった。

あのときの私はどう感じていたんだろう、それがわからないことが、悲しくて、虚しかった。

1番小さな記憶の、3歳での阪神大震災も、8歳での幼馴染の死も、場面は覚えているのに、どんな気持ちだったのか、わからない。
小学生で仲間外れにされたときはどんな気持ちだった?15歳で姉がうつになったときはどんな気持ちだった?病気を宣告されたときはどんな気持ちだった?
ものすごく知りたいのに、知れないもどかしさ。

そして感情のフタを開け、自分の感情を感じながら生きる今が、ものすごく豊かに思えた。

その豊かさを感じられるのも、感情にフタをしていた過去の自分のおかげ。

そんなことも人生史を作って知った。

客観視してみると、これまでの人生、必死に歩んできた。私なりに努力してきた。どの瞬間も目の前のことに一生懸命やってきた。

その時々、素直な気持ちで、自分で選択して、挑戦を繰り返しながら、ここまで生きてきた。

もう十分、よくやった。もっと自信を持とう。
もうすでにたくさんのものがある。もうすでに私は私を生きてきた。

なにも怖がるものはない。なにも怖いものはない。
失うものなどなにもない。

挑戦を続けよう。
直感に従いながら、なんでもやってきた人生は、今振り返ると、失敗したと思える出来事は、なにひとつない。

きっと、失敗とは挑戦しないこと。そして、成功とは、挑戦し続けること。

楽しいことばかりじゃなかった。傷ついたことも、ズタズタになったことも、絶望したことも、たくさんあった。
挑戦するということは、苦しみも覚悟する、ということ。
でも挑戦した先に、いつも心震える感動するものに出会ってきた。深い愛情に包まれる感覚に出会ってきた。

一気に自分の人生への愛が溢れる。自分への愛が溢れる。
自分の歩んできた人生を自然に肯定できる。

自分を愛するということは、過去を愛することなのかもしれない。

ならば、これからも、私の人生を愛して、愛する人生を歩き続けよう。

看護師時代に、たくさんの死を見て、
「死ぬときに『この人生で良かった!』と胸を張れる人生を歩みたい」
と感じていたことを思い出した。

だから、人生の最後にそう思えるように、私は今日も、自分のために自分の人生を歩く。
人生最後の瞬間、心から満足する一瞬のために。

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