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伝統文化を学ぶ

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仏教芸術の宝庫――敦煌莫高窟

仏教芸術の宝庫――敦煌莫高窟

「敦煌莫高窟」(とんこう ばっこうくつ)、甘粛省敦煌市内の莫高窟と西千仏洞の総称で、中国の有名な三大石窟の一つです。現存する石窟の中では世界一大きな規模であり、完全に保存された仏教芸術の宝庫といえます。

莫高窟は敦煌市から東南に二十五キロ離れた鳴沙山(めいさざん)の東のシジ崖に位置しています。建元二年(西暦366年)、砂門楽僧が鳴沙山を通過した時、鳴沙山が金色の光を放ち、千仏のように見えたので、

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中国の墨の由来

中国の墨の由来

古代中国で、まだ墨のなかった時代には、文字を書いたり絵を描いたりするのはとても不便でした。周の宣王の時代に邢夷という人がおり、絵を描くことに優れていました。ある日、彼は手が汚れてしまったので、近くの小川まで手を洗いに行きます。その時、傍に何か真っ黒なものが落ちているのを見つけ、拾い上げたところ、ただの松炭だったので捨てました。そして、ふと自分の手を見ると、思わずぷっと吹き出してしまいます。たった今

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【1分で読める故事成語】へ理屈をこねる

【1分で読める故事成語】へ理屈をこねる

「へ理屈をこねる」とは、すじの通らない、自分勝手ないい分を言うことです。

高陽応は戦国時代の宋の国の大夫(たゆう/貴族)で、人と弁論することを好みます。理にかなっても、筋が通ってなくても、強弁したがります。
ある日、高陽応は家を建てようとしました。ある熟練の大工が建築材料を見て、「これらの湿った木材では、すぐにひび割れし、長持ちしません。木材が完全に乾いてから立てたほうが良いです」と進言しました

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日本の寿司の歴史を探る なぜ、寿司には魚介類しか使わないのか?

日本の寿司の歴史を探る なぜ、寿司には魚介類しか使わないのか?

日本食といえば、寿司を思い浮かべる人が多いでしょう。 しかし、寿司は日本が発祥の地ではありません。魚介類と一緒に食べることが多いのですが、それはなぜでしょうか? 日本の寿司の起源を探ってみましょう!

寿司の歴史
寿司の先駆けとなった「なれずし(熟れ鮨、馴れ鮨)」は、西洋の時代以前に東南アジアの米作地帯で発見され、魚醤とともに近隣の地域に広まりました。

水田の小さな水路で魚を捕獲し、炊いたご飯に

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【1分で読める故事成語】這う這うの体(ほうほうのてい)で逃げる

【1分で読める故事成語】這う這うの体(ほうほうのてい)で逃げる

秦王朝が滅亡し、楚漢戦争が勃発している頃、韓信は劉邦の命を受けて斉を侵攻し始めました。しかし、劉邦が説客酈食其を派遣して斉との平和交渉を行わせたのを聞き、進軍を止めようとしましたが、蒯通に、「進軍停止命令がまだ降りていなく、斉もきっと無防備でしょうから、この隙に侵攻すべきだ」と説得されました。

そして、斉を平定した韓信は仮の王となりました。劉邦は懐柔のため、韓信を斉王として認め、また、楚に侵攻す

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漢字を理解して天機を知る『説文解字』

漢字を理解して天機を知る『説文解字』

「…倉頡(そうけつ)が文字を作ったとき、天は栗を降らせ、鬼は夜に泣いた…. 」(淮南子)

「倉頡(そうけつ)」とは、4千年前、天上から人間に文字をもたらした人物だと伝えられています。この伝説によれば、倉頡は黄帝の史官で、四つの目をもち、異なる次元が見え、物事が持つより深い意味を読み取ることができたといいます。

 中国、唐の時代、張彦遠は『歴代名画記』の中で、倉頡の伝説について、次のような解釈を

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