三. インナーチャイルドで気づいた事実。

私は、とある田舎町で生まれた。両親と5歳上の兄の4人家族。私が物心つく頃には市の中心部に近い所へ引っ越していた。都会寄りではあったが、田んぼが広がり、まだ空き地などがあるほのぼのとした地域で育った。

私の子どもの頃の記憶はどれもどんよりしていた。悲しかったこと、悔しかったこと、イヤだったことばかり。あそこへ行って楽しかったなとか、あの人に会えて嬉しかったなとかの記憶が、いくら思い出そうとしても出てこない。

これに気づいたのは、「インナーチャイルド」という言葉に出会ってから。何かの本に書いてあった。

実は職場で倒れる半年ほど前、パニック障害の兆候があった。新幹線に乗ったら冷や汗が出て、車内の密閉感とスピード感が恐くて耐えられず思わず次の駅で降りてしまったのだ。何となく、自分に起こっている変化には気づいていたが、私にはどうすることも出来なかった。見て見ぬふりをしていた。ただ、不安を解消するために、いろんな本を読んでいた。心理学やスピリチュアル、哲学、気になったものはすぐ手に取った。

「インナーチャイルド」という言葉は本で読んだだけでなく、占いへ行った時にも出て来たし、心理療法を試してみた時にも出て来た言葉だった。簡単に言うと、子どもの頃の傷など癒やされていない気持ちがまだ自分の中に残っていて、それをケアする必要があり、その為のワークをやりましょうということだった。

いろいろあったワークの中に「あなたが一番しあわせだった時、もしくは一番安心出来ていた時のことを思い出してみてください。その時のしあわせな気持ち、安心感をもう一度味わってみましょう」というのがあった。「あなたが子どもだった頃にお母さんから与えられていた安心感を思い出してみましょう」と。

私はなかなか思い浮かべることが出来ない。何とか頑張って思い出そうとして、気づいた。

「あぁ、思い出せないんじゃない。私にはしあわせだった時も、安心だった時もないんだ...」

私は、しあわせってどんな感じか、安心てどんな感じか全然わからなかった。がっかりしたけど、逆にハッキリわかった。向き合うしかないと思った。子どもの頃の自分を掘り下げるしかないと。しあわせ感も、安心感も味わってみたい、と強く思った。

実は1つだけ、自分を掘り下げる手がかりになりそうなことがあった。子どもの頃の出来事で、ずっと気になっていることがあった。それは、母方のおじいちゃんとのエピソード。

ある時、両親と母方の親戚達と外食へ行った。私は外孫なのでおじいちゃん、おばあちゃんとは一緒に住んでいなかった。食事が終わって帰る時、前からおじいちゃんに甘えてみたい気持ちがあった私は、思い切っておじいちゃんの手を握ってみた。

幼稚園か小学校低学年位だった私は、おじいちゃんは手を握り返してくれると期待した。笑顔で見つめ合えると思っていた。だけど、手は離されてしまった。私は悲しくなった。「やっぱり私は嫌われている。やっぱり愛されていない。」と感じた。その記憶が、ずっと心に引っ掛かっていたのだ。

今この文章を書いている私からしたら、当時の私がなぜこんなことに心に引っ掛かったのか、不思議に思う。だって、おじいちゃんとの想い出は他にもっとたくさんあって、私に優しくしてくれたことや私を笑わせようとしてくれたこと、心配してくれたこと、今の私ならたくさん思い出せるから。愛されてたと思えるから、あの時手を握り返して貰えなかった記憶も、今なら帳消しになる。何か事情があって手を離したのかもしれないし、そもそも私の記憶が間違っているだけかもしれない、と処理出来る。

だけど、当時の私にはそれが出来なくて、「私は愛されていない」しか感じられなかったのだ。おじいちゃんとのエピソードを、「自分は愛されない人間だ」という証明に使っていたのかもしれない。

しかし、おじいちゃんに愛されていないと感じた記憶に向き合って掘り下げてみたことで、私は次の展開に進めた。母と自分との関係に向き合う必要があると気づいた。

よく考えてみれば、私が実家を出た一番大きな理由は母と離れたいからだった。私が24歳位の頃だ。私は母が大嫌いだった。

一人暮らしをしてだいぶたつと、物理的に離れたせいもあって、前よりは母を客観的に見れるようになっていたが、嫌いな気持ちはなくならなかった。

その頃の私は気づいていなかったが、今の私にはわかる。私は母が嫌いだったんじゃなくて、むしろ大好きだった。だから私をわかって欲しかったし、仲良くしたかった。私の母への想いに気づいてくれない母への苛立ちと、自分の不満にばかり目を向けいつもイライラしている母に対して怒っていたんだ。

そして、母を嫌いになるトドメの出来事があったんだ。







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