Guitar0122(練習開始後半年)
夜の気温が高いうちに練習しておこうといそいそと家を出た。
少し前に「壁」についての言及と心理的圧迫ということで思い出した、加えてチバさんが療養前にレコーディングしていた曲がリリースされるというニュースを見た&PUFFYの「誰かが」がチバさん提供曲だったということで思い出した、(志村さんが亡くなる前に行っていたラフレコーディングの音源から残りのメンバーが完成させて発表した、志村さんがPUFFYに提供した曲のセルフカバーも入っているフジファブリックのアルバム"MUSIC"の中で一番最後の曲)「眠れぬ夜」を歌うことにしたのだ。
私も基本的に眠れない人間だし、この曲を書いていた時の志村さんのことを色々考えたりと、わりと思い入れのある作品なので、もうちょっときちんとコンディションが整っている時に歌いたかったんだけれども、召喚されてきてしまったので仕方ない。今できる範囲で、ということで取り組んだ。
まず、また低音が出なくなっているのに大苦戦した。私はサボるとすぐに衰えるタイプであるようなんだけれども、その時に、弱い脆い部分から急激に衰退していくようで、この曲の出だしの低い「ミ」、これがまず出なかった。。
あと、歌った部分は低いミから真ん中のソまでなんだけれども、フレーズの山がこのくらいの音域は私にとっては一番きついところで、真ん中のドより低い部分、特にファより下はそもそもなかなか出ないし、真ん中のドより上は、山のトップがソくらいまでだともっと上の音域の声に切り替えることもできず、私的には低いのに声の出し方的には高くて苦しい意味不明な状態に陥ってしまう。そして声がつかえたり裏返ったりすることが頻発する。
おかげで歌い直しの回数が嵩み(かといってたった1時間程度ですんなり低音が出るように回復することなどないので、歌い直したところで大して整わないのがつらい)、時間がかかってしまったのと、サビ以降のベースが私的には覚えにくい動き方で、何回か聴いて覚えようとはしてみたんだけど、とてもこの日中には無理だと判断したので、曲の途中までという残念な感じになってしまった。奇しくも練習開始後半年の、ある意味節目でもあったのに。(先程、これ書き始めて気付いた。)
キーが合わないなら上げればいいじゃないかと思われるかもしれないんだけど、私は絶対音感の弊害(?)で、それぞれのキーに抱くイメージのようなものがあるし、作り手がそのキーに設定したことには(実際にはそれこそ音域とか歌いやすさも勿論かかっているだろうけど)それなりの意味があると思ってしまうので、そこから勝手に動かすことができない。キーが変わると別物に聞こえてしまうし。(よくライブに行ったアーティストだと、くるりはわりとキーを変えてくることがあって、そうすると、何だ今日はどういうムードなんだ?あるいは喉の調子が悪いのか?なんて考えてしまったりしていた。Coccoや志村さんのフジファブリックではキー変えの記憶はまず無いな。)
ちなみに「誰かが」のように、提供先に加えてセルフカバーもある曲を歌う時には、自分の音域とそれぞれのキーのイメージを含めてちょっと考える。
「誰かが」は音域的にPUFFYのFのほうが、私には圧倒的に声を出しやすいというのと、Fはフラットの数も1つで、チバさんが歌っていたCとのキーのイメージも大きく変わらない(&歌詞との大きな乖離も無い)というので、Fを選択した。
一方、実は今日(日付的には昨日)オフコースバージョンもある西城秀樹さんの「眠れない夜」を歌ったんだけど(「眠れぬ夜」からの連想で出てきたのと低音のリハビリで)、オフコースはG、西城さんはE♭で歌っていらして、この場合の選択はかなり悩ましかった。私の音域的には圧倒的にGのほうが楽なんだけど、歌詞のイメージが私のGのイメージと合わず、E♭だとしっくりくる感じだったので、キツいなと思いながらもE♭を選択した(そして思った通りに大苦戦した、、)。
見えたりできてしまったり知っていたりすること、全て、メリットもあればデメリットもある。
絶対音感があるから、私はその時降ってきた曲をちょっと聞いてすぐ歌うことができる。でも絶対音感があるから、私はメロディーに乗っていることば(歌詞)を(脳が勝手に音階にフォーカスしてしまうから)なかなか聞き取れないし、自分の音域に合わなくてもキーを変えることができない。
自分から容易に取り去ることのできない、そうした特性をどのように捉え、受け止めていくか、それはそれぞれの人の選択であり、その選択やその結果が、その人の個性になっていく。
あるいは、ピアノや学業ですんなり成果を出してしまったから、(何故か)私(だけ)には強制や抑圧が始まってしまったし、能力は本人に不本意な形で、特にその質を共有していない者に搾取されやすい。けれども本当にその分野に精通し、自身も高い水準に達しているようなものであったら、相手の才や技能知見、その価値に気付けるし、だからこそ尊重して接するようになる。きちんとした人は僻まないし搾取なんかしない。
私は身近なピアニストのたった一音で、本物は違う、別世界だとノックアウトされたし、深い教養や知見を有する先生方にはうっとりした。対抗意識とか悔しさなんて全く無い。ただ、こんなにすごいって素晴らしい、素敵だ、貴重だと感じ、大切に思うようになる。
相手の「できる」を受け止められないのは、多くの場合は自分が揺らいでいて自信がないから。本当は自らの至らなさに思い当たるところがあるのに認めたくない時。特に自分が優位な立場にある場合にそれは起こりやすい。
しっかり自分が築けて見えていれば、相手の「すごい」に揺さぶられることは無い。たとえ圧倒的に相手の力量の方が高い位置にあったとしてもね。自分は自分、相手は相手でそれぞれに受け止められる。まさに"Affirmation"。
私は多くの優秀な子と接してきたけれども、彼彼女らの「できる」を絶対に搾取しないように、「する気が起きない」あるいは「すんなりできない」も全否定しないようにと肝に銘じ続けてきた(ただし合理的な範囲内ではたしなめる)。明らかに抜きん出た子もいた。自分よりもね。それでもすごいなあと微笑ましく思って、もっと伸ばせるようにバックアップした。そしたらその子はあっという間にメキメキと伸びて羽ばたいていった。
かつて自分が本当に嫌だったから、身をもって知っていたから、繰り返さないように、犠牲者を作らないようにと思うことができるようになった面もあって、これもメリットとデメリットが共存している一例。
私は安全で公正な環境の中で、分野の枠に縛られることなく多くの学問や視点に触れ、加えて温かい目で見守ってくださる教養ある理性的な先人(先生方)に大切にしていただきながら刺激を受けつつ、興味の赴くまま、とにかく学んだことによって、だいぶ自由になれたところがある。
リベラルアーツは、私の謎感覚や斜め発想、一般より広い想定などの特性との相性もよく、一つ学べばそこから芋づる式にどんどん次に知りたいことが出てきたし、システム的にそれを選択することもできたし、そんな中で特に意識せず聞いていた話の中にも「あ、また繋がった」と思うこと、そんな瞬間が溢れていて、大学での学びは本当に楽しかった。
そしてそんなキャンパスでの日々、出会い、その中で得た知見や経験によって、私は「できることコンプレックス」をある程度、解消していくことができたし、理由もなくお前が悪いと言われない、攻撃されない、自分が自分でいていい場を体感できたことで、ある程度、自分ですら本当に面倒で持て余す、屈折して底無し沼の暗黒を抱える自分も受け入れられるようになった(だって、周りが受け入れてくれたんだもん)。
あくまである程度、だけどね。
楽しく過ごしていてもずっと不眠だったし摂食に大きなムラはあったし、積極的に生きる気には一度もならなかった。将来の夢も希望も、就きたい職業、行きたい会社等もできなかったし、結婚とか子どもとか家とかが少しでもチラつくと激しく消耗した。友達も先生方の存在も、とても大切には思っていたけれども、私が人に自分のことを話すことは無かった。
それでも、就活をすることすら無かったけれども、職には就いて、時に浮上してくる底無し沼からの手を、なんとか振り払いつつやってきていた。
けれども全ては終わったし終わる。My sanctuary has gone. It destroyed me. Things fall apart. "Everything is made to be broken." and "I don't the world to see me."
そろそろまた年度末、どこかで脳や体内にスイッチが入り、あの理不尽で不毛な退職までの日々へのループが始まるだろう。左小指を失いかけた怪我もちょうどこの時期だった。
Savage Gardenの"Affirmation"歌い直しは、トリミングが面倒なのと、投稿に際して文を書こうとするとあまりに色々なものが湧き出してきてしまうので、どうしても先送りにしてしまいがちなんだけれども、さすがにそろそろ少しは手をつけたほうがいいね。
あとはきちんと開いて書き残しておくべきことも。年末みたいに、道中で関連資料をそのままアップすればいいやと投げてしまうより、きちんと焦点を自分のことばで遺したほうがいい。その時、私はもういないのだから。
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